ベトナム・ラオスバイクの旅:第14話~ラオス・ベトナム両国のホーチミン・ルートとケサン基地でベトナム戦争に触れる~
これまで、初日はホーチミンからバンメトートまで北上し、ダライヌア、ダライサップの滝を見に行きました。
2日目はラック湖の大自然を象に乗って楽しみ、中部高原の自然を堪能した後でプレイクに向けて北上しました。
3日目はプレイクの街を楽しんでから、ラオス国境近くまで北上し、バイクに乗ったまま国境を通過し、ラオスのセーコーンで1泊しました。
4日目は南ラオスの滝を巡ってチャムパーサックまで来ました。
5日目は世界遺産ワットプーを見学し、その後周辺遺跡をめぐりました!
6日目はシーパンドーンに宿泊し、メコン川に浮かぶ島々を巡りました。その後、南ラオスの代表都市、パークセーで一泊。
7日目はパークセーから一気にベトナム国境近くの街まで走りました。
そして8日目、ラオ、ベトナム両国のホーチミン・ルートとケサン基地を見学してホイアンに向かいます。
目次
ラオス最後の朝
ラオス最後の朝、ゲストハウスをチェックアウトした風景がこちら。この道が昨日走ってきたラオス国道9E号線、東西経済回廊です。片側1車線ですが道は完全舗装でとっても走りやすい道です。まだトラックも多くなかったのですがこれからもっと増えるのでしょうか。
ラオスに残るホーチミン・ルート
昨日ベトナムまで行かずにここに止まった理由は、「ホーチミン・ルート」があるという看板を見つけたからでした。ホーチミン・ルートといえばベトナム戦争時に北ベトナムが国境付近の山岳地帯に設けた北から南への補給路。ラオスやカンボジア国内も通っていたというホーチミン・ルート、まだ残っているのですね。
ラオス国内に今まだ残るホーチミン・ルートを訪ねるホーチミン・ルートといえばベトナム戦争時に北ベトナムが国境付近の山岳地帯に設けた北から南への補給路。ラオスやカンボジア国内も通っていたというホーチミン・ルートがラオス国内にも残っています。 ベトナムからラオスへ ラオバオ国境からラオスに入ってすぐの所にホーチミン・ルートが残さ…
国境を抜けてベトナムへ
ホーチミン・ルートを見学した後は国道へ戻ってベトナム国境へ向かいます。国道に戻る途中に急に棒を振る人が出てきてラオスの警察に止められました。停めた後にベトナムナンバーであることに気づいたのか色々と聞いてくるのですが、日本人だというとパスポートを見せろと言ってきたので見せました。そして釈放。何もなくて良かったです。ちなみに言葉は片言の英語とカタコトのベトナム語。さすが国境地域、ラオスの警察官も英語はできなくてもベトナム語はできるんですね。
国道に戻ってから数十分で国境に到着しました。
こちらがラオス側の国境施設。この建物の右側の通路を入るとイミグレーションがあります。
こちらがイミグレーション。一応英語表記はあるのですが、ほとんど通じません。ほぼ無言で書類を差し出して無事出国。バイクの一時輸出証明書の提示も求められませんでした。
国境施設を超えたところの風景。門が2つ並んでいます。手前がラオスの門、奥がベトナムの門で間に流れている小さな川が国境です。
それにしても立派なベトナムの門。上段の赤文字のベトナム語は「ベトナム社会主義共和国」と書かれています。下の黄色の文字はラオス語、英語の表記されていますが「ラオバオ(Lao Bao)国境」と書かれています。ラオバオはこの国境がある町の名前です。
国境にはラオスに入国した時にも見た石碑がありました。ベトナム人の記念撮影がいっぱい。どうやらちょうど国際バスが到着していたようです。ちなみにフエやダナンからもこの国境を経由した国際バスが何本か運行されています。
ベトナムの国境施設で入国のスタンプをもらって無事にベトナムに帰ってきました。ベトナムに入った後に振り返って撮った写真が上の写真です。ラオス側と比べてかなり立派ですね。数日前に通った南側の国境よりも立派な作りです。大型車用のスペースも多いので東西回廊として物流の要所となることを見込んで作られているのでしょうか。
ちょうどラオスへ石油を輸出すると思われるトラックが国境を越えようとしていました。ラオス国内でも結構あったベトナム系のガソリンスタンド、ガソリンはここから持ってきていたんですね。
>>次のページヘ続きます:ベトナム戦争を語る上で欠かせないケサン基地とダクロン橋ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。