ラオス国内に今まだ残るホーチミン・ルートを訪ねる
ホーチミン・ルートといえばベトナム戦争時に北ベトナムが国境付近の山岳地帯に設けた北から南への補給路。ラオスやカンボジア国内も通っていたというホーチミン・ルートがラオス国内にも残っています。
ベトナムからラオスへ
ラオバオ国境からラオスに入ってすぐの所にホーチミン・ルートが残されています。
ということで国道を右折して赤土の道路を進みます。
しばらく走ると橋がありました。
ラオス語なので読めませんが、1975年(ベトナム戦争が終わった年)の年号が書かれているので、その歳に再建されたものなのでしょうか。ホーチミン・ルートは南軍が何度も分断しようと試みたために橋は爆撃で何度も落とされているのです。
更に進んだところにラオス語とベトナム語で看板がありました。が、何が書いてあるのか全くわからず・・・。ベトナム語版は微妙にわかるのですが、予備知識があるからわかるだけで読めているわけではありません。。
さらにラオス語とベトナム語。自国民だけでなく、ベトナム人に知ってほしいというラオス政府の意図があるのでしょうか。
その先にやっと英語の看板を発見しました。情報量は先程までの看板に比べると非常に少ないですね。現在あるラオス国内の南北の道はホーチミン・ルートだったものが多いようです。
今も残されているラオス国内のホーチミン・ルート
こちらが保存されているホーチミン・ルート。左の赤土の道が現在使用されている道で、2kmほど並走して保存されていました。この辺りのホーチミン・ルートはきちんと舗装されていたんですね。
そのホーチミン・ルートの隣の暮らしの様子がこちら。今はとっても平和で子どもたちが遊んでいますが、戦時中はきっとこんな暮らしではなかったのだと思います。戦争が終わったのは今から38年前の1975年。そんな昔、というわけでもなく、戦争を経験している方にも何人もすれ違っているのでしょう。
ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。