ベトナム・ラオスバイクの旅:第14話~ラオス・ベトナム両国のホーチミン・ルートとケサン基地でベトナム戦争に触れる~ (2ページ目)
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国境の町ラオバオでしばし休憩
国境を抜けるとクアンチ(Quang Tri)省のラオバオ(Lao Bao)という街です。街中には東西経済回廊を表す看板が建っていました。右上にはアジア開発銀行のロゴも入っていますね。
ベトナムに戻ってきたのでカフェで休憩。やっぱりベトナムはどの街にもカフェがたくさんあるのがいいところ。しかももちろんWI-FIフリーです。
湖畔のカフェ、最高ですね!この辺りも涼しいエリアなのか、コーヒーは保温のお湯とともに出てきました。しかも氷も付いているのでホットでもアイスでもお好みで楽しめます。
広い湖畔のカフェでベトナムコーヒーを飲みながらゆっくりしていると、ベトナムに帰ってきたなぁと感じます。いつの間にかベトナムが居心地の良いホームになりつつあります。カタコトのベトナム語ですが言葉が通じるのもとっても嬉しい。
街のロータリーには兵士の像がありました。戦争時に激しい戦闘の行われたベトナムの中部エリアにはこのような銅像が多く作られています。先日訪問した世界遺産のフォンニャケバン国立公園の入口にも同様の像がありました。
米軍の重要拠点であったケサン基地跡を見学
兵士の像のあるロータリーから少し北に行ったところにケサン基地跡があります。ちなみにこの道もホーチミン・ルートで、直進すると世界遺産のフォンニャケバン洞窟まで続いています。
ケサン基地についてはこちらの記事をご覧ください。
米軍の重要拠点であったケサン基地跡を見学しようケサン基地はベトナム戦争時の米軍の重要拠点で、ホーチミン・ルートを攻撃して分断するために設けられました。ケサン基地を巡る1968年の攻防では米軍が勝利したものの、その7月には自ら基地を破壊した上で撤退しています。 こちらがケサン基地の入り口。タコン(Ta Con…
ケサン記事に行くツアーもあります。
【フエ発・日本語】DMZ~非武装地帯~日帰りツアーDMZとはDemilitarized zone(非武装地帯)の略で、 ベトナムを南北に分断していた境にあります。 ベトナム戦争の激戦地となったDMZでは、今もなお弾痕など戦争の傷跡が残ります。 戦争の凄惨さを風化させないためにも、日本語ガイドと一緒に自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。
ダクロン橋からホーチミン・ルートへ
ケサン基地の前でエスプレッソを売ってる屋台がいたのでぐいっと飲み干してから、長い長いホーチミン・ルートを下っていきます。
国道9号線を東に走るとすぐにホーチミン・ルートとの分岐がありました。
交差点にある道路標識によると、右(来た方向)には国境の町ラオバオやケサン基地などがあり、左方向にはドンハ(Dong Ha)市の案内がありますが、直進方向には何があるか一切書かれていません。ということで直進方面に進みます。
ちなみにこの橋がダクロン(Da Krong)橋。ベトナム戦争時には何度も何度も米軍によって破壊されては建設しなおしたという橋です。今の橋は近年新しく作られたものです。
ベトナム国家歴史遺跡を表す石碑もあります。このダクロン橋からホーチミン・ルートを南に進んでいきます。
ダクロン橋については以下の記事でも紹介しています。
ベトナム戦争時に何度も破壊されては再建された南北国境の橋ダクロン橋ベンハイ川にかかるこの橋がダクロン(Da Krong)橋。ベトナム戦争時には何度も何度も米軍によって破壊されては建設しなおしたという橋です。今の橋は近年新しく作られたものです。 ダクロン橋 ダクロン橋はいまはホーチミンロードというベトナム第2の南北幹線道路の一…
>>次のページヘ続きます:ホーチミン・ルートを200km南下して世界遺産の街へライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。