カンボジアツーリング第4回~コーケー遺跡、プレアヴィヒア遺跡、ポルポトの墓、北カンボジアを満喫~
昨日はクラチェで川イルカを見てから更に奥地へと進みスラヤンという小さな町で宿泊しました。今日はすぐ近くのコーケー遺跡群を見てからプレアヴィヒア遺跡を見に行ってきます。
目次
コーケー遺跡群
アンコール時代の首都はもちろんアンコールワットがあるアンコール地方置かれていたのですが、928年から944年頃までこのコーケー遺跡が首都になっていた時代があるそうです。
コーケー遺跡郡ということで60以上の遺跡があるようなのですが、現在整備されているのは十数個で、この遺跡内の道路から行けるようになっています。
コーケー遺跡で一番有名なのがこのプラサット・トム。アンコール時代の遺跡にしては珍しいピラミッド構造です。コーケー遺跡のチケットにもこの遺跡の写真が印刷されています。
ピラミッドの頂上まで木の階段が取り付けられており自由に登れるようになっていました。上からの景色が素晴らしいです。こういう風景、写真でうまく伝えられないのが残念です。
他の遺跡にもそれぞれ看板が付けられていました。ここはプラサット・プラム。
木に侵食された非常に味のある遺跡。こういった遺跡が幾つかあります。
地雷除去済みを示す看板もありました。数年前まではこの辺りにも地雷が埋まっていて危険なエリアだったのです。この看板は日本の援助を示していますが、この辺りはフランスの援助によるものが多かったです。ちなみにカンボジア全土でこの地雷除去済みの看板がたてられています。
プレアヴィヒア遺跡へ向かって走る
コーケー遺跡群を見た後はプレアヴィヒア遺跡に向かって北上します。最初の数十キロは昨日きた道を戻ります。
カンボジア国道62号線を北に向かって走ります。写真のとおり、とっても走りやすくて気持ちの良い道です。たまに集落はありますが、他の道もなくひたすら真っすぐ進みます。
しばらくすると看板がありましたが、クメール語しかありません。Sra'aemという街の入口です。プレアヴィヒア寺院から一番近い街で、この街で宿泊してから寺院に向かう旅行者もいるようです。
更に北に走るとプレアヴィヒア寺院の写真付きの看板がありました。ここで左折するともうすぐです。
チケットブースがありました。ここでチケットを入手しないとこの先のゲートで追い返されてしまいます。道路脇にいる2台のバイクはバイクタクシー。ここからさきは大型車は入れないので大型車で来た旅行者はバイクタクシーか小さな車に乗り換えることになります。
ここがチケット売り場。ここではパスポートの提示が必要です。他の寺院でも国籍を書く欄があったりします。どの国から来ているかデータを集めているのでしょう。
チケット売り場から見たプレアヴィヒア寺院。今からあの山頂まで行きます。かなり標高差がありますね。
この標高差を一気に上がるので道もかなりの急勾配でした。スキー場の上級コース並みの斜面です。バイクのギアを1速まで落としてゆっくり登ります。
上には駐車場があり、警察官もたくさんいました。物売りも多く、花やたばこを売っています。軽食やドリンクの売店などもありました。ここで飲み物を買って行くと良さそうです。
プレアヴィヒア寺院。こんな山の上にこんなものを作ってしまうなんて驚きです。
山頂に到着。ロープ一本の先は断崖絶壁です。それでも皆ギリギリまで行って写真を撮りたくなるものなんですよね。多くの人がロープを越えていました。記念撮影屋さんもいて、その場でプリントしてくれます。
プレアヴィヒアといえばこの山頂からの景色。奥のほうが霧がかってしまっているのが残念・・。昨日までは快晴だったのですが今日はちょっと空気が曇っています。
ちなみに遺跡の北側は写真奥に降りられるようになっています。ちなみに駐車場は写真左側です。更に奥に見える森はタイです。ここは国境紛争がつい最近まであり、今は国境は閉ざされています。タイ側をよく見るとタイ国旗が上がっている展望台があり、タイからもプレアヴィヒア寺院を見学できるようになっていました。
この階段を降りて行ってみます。
カンボジア国旗カラーのプレアヴィヒア寺院と書かれた看板がありました。本来の入口はここなのでしょう。奥にはタイ方面に道が続いています。驚いたのはここにも小さな集落があったこと。写真をとってるとご飯を食べていかないかと声をかけてくれました。
この家族のところで少しだけご飯を分けてもらいました。お父さんは英語が少しだけ話せますが他は全く話せません。頑張って通訳してくれるお父さんもそこまで英語をわからないようでなかなか会話が難しかったのですが楽しかったです。ご飯を頂いたお礼にチップを渡そうとすると頑なに受け取りませんでした。
プレアヴィヒアから西へ
プレアヴィヒアから西に向かいます。周りに集落は殆ど無いのですが、シェムリアップとプレアヴィヒアをつなぐ道なので整備されています。
シェムリアップまでは199kmですが、最初の目的地は79km先のアンロンベンです。
民家もなくハイペースで飛ばしたくなる道です。
アンロンベン(Anlong Veng)にあるポル・ポトの墓とタモックの家
タイ国境のアンロンベンはポル・ポト派の最後の拠点でした。ここにポルポトの墓や、ポルポトの右腕だったタモックの墓があります。
タモックの家
タモックの家の入口には英語併記で看板がありました。途中に料金所があり、入場料2ドルを取られます。
これがタモックの家。歴史的建造物、といってもポルポトの時代を考えるとまだ3,40年ほどしか経っていないはずです。カンボジア人観光客の姿もちらほら。
建物内部の壁面にはアンコールワットやプレアヴィヒア寺院の絵が書かれていました。
テラスからは素晴らしい景色が望めます。
ポルポトが使ってたというトラックも放置されるような形で展示されていました。
エンジンなどの部品は盗まれてしまったのでしょうか、朽ち果ててしまっています。当時はこの車で沢山の人々を運んだのでしょうか。
クメール語しか書かれていないゲージがありました。大きさからするに人間を入れていたようにも思えるのですが、英語での説明がなかったのでわかりません。
園となりには札が2匹鎖で繋がれていました。やっぱり猿の好物はバナナなんですね。
タイ国境の町
更に北に登るとタイとの国境があります。
国境の町の様子。小さな町です。この道を奥に進むと国境があります。
道の左側ではカジノと思われる大型ホテルが建設中。カンボジアの国境はどこもカジノがありますね。
これが国境。手前左にある赤い屋根の建物がカンボジア側国境施設です。もう少し時間があればタイにも行ってみようと思うところなのですが今回は越境せずに戻ります。
近くでは若者たちがサッカーをしていました。カンボジアの道では道端で芋を干している光景によく出会いましたが、ここでは何かの果物の実のようなものを干しています。
ポルポトの墓
そんな国境付近にポルポトの墓があります。
このゲストハウスの看板の下に小さくポル・ポトの墓があると書かれています。ここを右折。
ここがポルポト最後の地です。ここでも入場料2ドルを払いました。私がバイクで入っていくのを見て近くの商店のおじさんがついてくると思ったら彼が料金徴収人でした。
ポルポトの墓です。いっときの国のトップであり、数百万人を殺した末路がこの小さなお墓です。ポルポト及びクメール・ルージュについてあまりぴんとこない方は、プノンペンのトゥールスレン収容所やカンボジア各地にあるキリングフィールドに一度は訪れることをおすすめします。旅をしているといろいろと歴史に詳しくなれる気がします。
シェムリアップへ
夕暮れが近づいてきました。シェムリアップへ急ぎましょう。
本当はバンテアイ・スレイ遺跡が道中にあるのでその付近で宿泊しようと考えていたのですがゲストハウスが見つかりませんでした。クメール語で書かれているのがあったのかもしれないのですが読めないのでわかりません。ただ、ここでは結局シェムリアップに行ったことが正解でした。
途中でガソリンを補給。店員のおばちゃんのネイルが綺麗だったので写真を撮ってしまいました。カンボジアの奥地でもネイルアートはあるんですね。
シェムリアップ
日が暮れてからも走り続けてアンロンベンから120km離れたシェムリアップに到着しました。
シェムリアップは今までの町と比べるととても賑やかです。観光客の多さから、プノンペン以上に賑やかな一角もあるほどです。実は以前に日本人経営のヤマトゲストハウス の方にメールでお世話になったことがあるのでそこに泊まろうと思っていたのですが、年末でドミトリーも満室ということなので他のホテルを探しました。偶然昨日まで休業していたゲストハウスがあり、なんとドミトリーなのに貸切状態。値段も1泊5ドルと安いので早速チェックイン。
カンボジアのカフェチェーン、ブルーパンプキン。このお店、コーヒーもケーキも美味しくて、更にはソファーの席があるのでつい入ってしまします。この後ソファーの席が空いてからは閉店までここにいました。
このドミトリーが貸し切りでした。翌日にはもう客がいっぱい入ってきて貸し切りではなくなったのですが、バスルームも新しく清潔でとても良い所でした。パブストリートにも近く、長距離バスが目の前から発着しているのでバックパッカーには最高の立地です。結局ここに3泊しました。
ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。