9月2日はベトナム独立記念日。ベトナム独立の流れとベトナム独立宣言を振り返ってみました。
本日9月2日はベトナムの独立記念日です。ベトナムの祝日ということで街中には赤いベトナム国旗が溢れ、タクシーにも赤いベトナム国旗が掲げられています。
今回はこの独立宣言とその周辺の出来事について振り返ってみることにします。
ベトナム独立に向けた動き
1900年代初頭には日本へ遊学する運動「ドンズー運動」が盛んになりましたが、日仏協約に基づき日本はベトナム人留学生の国外退去を命じました。
1940年にはフランスがドイツに降伏し、日本軍が北部仏印(フランス領インドシナ)、そして南部仏印へと進駐しました。その後数年間に渡り日本の支配下に置かれました。1945年3月9日、敗戦の色が濃くなった日本軍はインドシナ全体を占領するべく、5月15日にフエでバオダイ帝を擁立してフランスからベトナムを独立させました。その後8月15日に日本は連合国に対して無条件降伏します。
8月16日、ホー・チ・ミン氏はベトミンの総決起集会を行い、19日にハノイの政府官舎を占領。24日にはフエ、25日にはサイゴン(現ホーチミン市)を掌握します。この出来事は8月革命(Cách mạng tháng Tám)と呼ばれ、今も各都市の主要道路の名前に残っています。
そして9月2日、ホー・チ・ミン氏がハノイのインドシナ総督府正面においてベトナム独立宣言を行います。
独立したベトナムはその後御存知の通りベトナム戦争へと巻き込まれていきます。ベトナム戦争については又の機会に書きたいと思います。
独立宣言の全文は以下に掲載いたしますが、「真実は、我々はフランスからではなく、日本から我々の独立をもぎ取った。」という記述があるように、日本(正確には大日本帝国)からの独立ということを知っておいても良いのかなと思います。
ベトナム独立宣言
Wikipediaからベトナム独立宣言の日本語版を以下に引用します。
全ての人間は平等に作られている。人類はその創造者によって奪う事の出来ない権利が授けられている。それらは生命、自由、そして幸福の追求である。
この不滅の宣言は1776年のアメリカ独立宣言の中に盛り込まれた。より幅の広い感覚で言えば、これは次の意味である。地上の全ての人類は生まれた時から平等であり、そして全ての人々は生きる権利、幸せになる権利、そして自由の権利を持っている。
1791年に行われたフランス革命に於ける人間と市民の権利の宣言も同様に宣言している。
全ての人間は自由として、平等な権利を持って生まれている。
それらは否定出来ない真実である。
であるにも拘わらず、80年以上に渡ってフランスの帝国主義者たちは自由、平等、友愛の精神を踏みにじって我々の祖国を侵害し我々の市民を圧迫して来た。彼らは人間愛や正義の理想と相反する行動を取って来た。政治の世界では、彼らは我々の民族から民主主義的自由を奪い取って来た。
彼らは非人道的な法律を押し付けた。彼らは我々の国家的統合を破壊し統合を妨害する為にベトナムの北部に、中部に、南部にそれぞれ三つの別々の政治的な体制を建設させた。
彼らは学校よりも多く刑務所を建設した。彼らは無慈悲にも我々の愛国者を殺害し、血の川に我々の蜂起を沈めた。
彼らは公的な意見を束縛した。彼らは我々の民族に対し反啓蒙主義を実行した。
我々を人種的に弱める為に彼らはアヘンやアルコールの使用を強要した。
経済学の分野で言えば、彼らは我々から気骨を巻き上げた。我々の民族を貧しくし、我々の土地を壊滅させた。
彼らは我々の田んぼを、我々の炭坑を、我々の森を、そして我々の天然資源を盗んだ。彼らは紙幣の印刷や輸出取引を独占した。
彼らは多数の不当な税を発明して、我々の民族、特に我々の農民を極端な貧困の有様に引きずり下ろした。
彼らは、我々の国家ブルジョアジーの成功を妨害した。彼らは我々の労働者を情け容赦なく搾取した。
1940年の秋に、ファシスト日本(日本のファシズム)が連合国との戦いにおいて新しい基地を確立する為にインドシナ半島の領域を荒らした時、フランスの帝国主義者は彼らに膝を曲げてひざまずいて、我々の国を彼らに手渡した。このように、その日付から、我々の身内は、フランス人と日本人の二重の軛に服従した。彼らの苦しみと惨めさは増加した。結果は、昨年の終わりから今年の初めまで、クアンチ省からベトナム北部に至るまで、我々の仲間の市民のうちの200万人が飢餓で死んだ。
3月9日に、フランス軍隊は、日本人によって武装解除された。フランスの植民地主義者は逃げたか、降伏した。それを示すだけでなく彼らが5年の間に、もし彼らが日本人に我々の国を二回売っていなければ、我々を「保護する」事が出来なかった。
3月9日の前に、幾度もベトミンは、日本人を相手取ってフランス人にベトミンと同盟するよう訴えた。この提案に同意する代わりに、フランスの植民地主義者は、逃げる前に彼らが拘留される沢山の我々の政治犯を大虐殺したように、ベトミンメンバーに対してイエンバイ省やカオバン省にて彼らのテロ活動を強めた。
こういう事にもかかわらず、我々の仲間の市民は、常にフランス人の方へ寛容で人道にかなった態度を常に明らかにして来た。1945年3月の日本の反乱の後さえ、ベトミンは、多くのフランス人が境界線を横切るのを援助して、彼らの何人かを日本の刑務所から救い出して、フランスの命と資産を保護した。
1940年の秋から、我々の国は実際にフランスの植民地であるのをやめて、日本の所有になった。日本人が連合国に降伏したあと、我々の全部の仲間は我々の国家主権を回復して、ベトナム民主共和国を起こす為に蜂起した。
真実は、我々はフランスからではなく、日本から我々の独立をもぎ取った。
フランス人は逃亡し、日本人は降伏し、皇帝バオ・ダイは退位した。我々の仲間はおよそ一世紀に渡って縛り付けて来た鎖を破り、祖国の独立を勝ち取った。我々の仲間は同時に、何世紀もの間最高位に君臨した君主体制も倒した。その場所に現在の民主共和国が建国された。
これらの理由から、我々臨時政府のメンバーは全てのベトナムの人々を代表して、今後、我々がフランスの植民地支配者の全ての関係を絶つと断言する。我々はフランスがここまでベトナムに代わって同意した全ての国際的義務を無効にする。そして、我々はフランス人が我々の祖国で不当に得た全ての特権を廃止する。
全部のベトナムの人々は一般的な目的によって活気づけられ、最後まで、国を再奪取するフランスの植民地主義者による如何なる試みとでも戦う決心を固めている。
我々は、連合国がテヘランとサンフランシスコで認めた自決の原則と国の平等がベトナム独立の承認を拒否しないことを確信している。
勇敢にも80年に渡ってフランスの支配に反対した人々、ファシストを相手に連合国と共にこれら最後の年の間に戦った人々は、自由で独立しているに違いない!
これらの理由から、我々ベトナム民主共和国の臨時政府のメンバーは世界に対し厳かに宣言する。ベトナムは自由で独立した国である権利を持っている。そして実際既にそうなのである。全てのベトナムの人々は全ての彼らの肉体的および精神的な強さを動員する決心を、そして彼らの独立と自由を保護する為に彼らの命と資産を犠牲にする覚悟を固めている。
ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。