ドンズー運動:日越交流40周年記念ドラマ「パートナー」の題材にもなったファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の物語
更新日:2013年9月28日 / ライター: ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
ここでは日越交流40周年記念ドラマ「パートナー」の題材にもなった、1900年台初頭に起こったフランスからの独立を目指した活動である「ドンズー運動」について記載しています。
なお、当時のベトナムでは漢字が使われていたため本ページではベトナム語には全てアルファベットによるベトナム語表記(クオック・グー)と漢字表記を併記しています。
目次
ドンズー運動(Phong trào Đông Du/風潮東遊)と関連する出来事
ベトナムの独立を目指すファン・ボイ・チャウの来日
1883年以来、ベトナムはフランス領インドシナとしてフランスの統治下に置かれていました。そんな中、日露戦争が勃発。大国ロシアに日本が勝利したという事実を知ったベトナムの政治家であり、政治団体維新会のリーダーであったファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu/潘佩珠)は1905年、日本に対して武力援助を求めるために日本へ密出国しました。
来日後、日本に亡命中であった梁啓超を訪ね、日本の政治家である犬養毅と大隈重信を紹介されました。そこでは、「日本政府がベトナムのために武力援助を行うことはなく、武力による革命の前に人材の育成が重要である。また、運動の象徴であり維新会の盟主である阮朝(Nhà Nguyễn/家阮:当時のベトナム王朝)皇族のクォン・デ(Cường Để/彊柢)を日本に連れてくると良い」という話をしました。当時のベトナムでは漢字が使われていたため、筆談を介して日本人とベトナム人は意志が疎通できたのです。
写真はファン・ボイ・チャウ(右)とクォン・デ(左)の日本での一枚です。
ドンズー運動の始まり
日本で暮らし、日本とベトナムの差を感じたファン・ボイ・チャウはベトナムに向けて「ベトナム亡国史」、「遊学を勧むる文」、「海外血書」等の著作を出し、ベトナムの青年の日本留学を促しました。ベトナムでは維新会が宣伝や資金集めなどを行い留学生の送り出しを組織的にサポートしました。ベトナムからの出入国が禁止されていた困難な状況下で、200人ものベトナム人が日本に学びに来ました。このベトナムから日本への留学をドンズー(東遊)運動と言います。漢字が表す通り、東(日本)に遊学(留学)するという運動です。
この運動を通じて日本に渡ったファン・チュー・チンは横浜に丙午軒という2階建ての寮を設立しました。ファン・チュー・チンは日本の富国強兵政策に対して批判的であり、またフランスとの協力し、民主主義の原則を訴えてベトナムの独立を志すなどファン・ボイ・チャウとは少々考えが違っていたので一緒に活動することはありませんでした。しかし、ベトナム人の教育水準を高めて人材の育成をするという点では一致していました。
ハノイにて東京義塾が開学
日本の教育や政治体制を学んだファン・チュー・チンはハノイに帰り、1907年、福沢諭吉の慶應義塾に倣って東京義塾を設立してその講師となりました。ちなみに名称の東京はドンキン(Đông Kinh)というベトナム語の漢字表記であり、当時のハノイ周辺を表す地名であり日本の東京とは無関係です。この学校ではファン・ボイ・チャウの著書も教科書として使用していました。もともと「義塾」は慈善の義捐金で公益のために無料で教育を施す学校を意味しており、この東京義塾も授業料を無償にして貴族ではない一般民衆にに対してクオック・グー(Quốc Ngữ/國語:ベトナム語のアルファベット表記。従来の漢字表記に対して習得が簡単)を使って近代化や西欧思想などを教えていました。この東京義塾を見習う形で梅林義塾や玉川義塾という学校が建立されました。
フランス総督府による弾圧
こうした運動をフランス総督府は快く思わず、留学生の親族を投獄し、送金を妨害するなどの措置を取りました。1907年に日仏条約が締結された後は日本政府に対しても留学生の引き渡しを要求してきました。1908年には留学生の解散を日本政府が命じます。多くの留学生は日本を離れましたが、ファン・ボイ・チャウは日本に残り、残った留学生の支援をしていましたが資金は底をつきてしまいました。
浅羽佐喜太郎による支援
そんな中、ファン・ボイ・チャウはベトナム人同士を以前助てくれた浅羽佐喜太郎先生のもとに窮状を書いた書状を送りました。厚かましいお願いで心苦しいと思っていたファン・ボイ・チャウのところには、翌日には1700円もの大金が浅羽佐喜太郎から届きました。当時の校長の月給が18円とのことなのでどれほどの大金かお分かりいただけるかと思います。その手紙には「手元にはこれだけしかありませんが、またお知らせ下されば出来るだけのことをします。」と書かれていました。
ドンズー運動の終焉
そしてついに翌年1909年、日本へ留学していたベトナム人留学生は全て国外追放となり、ドンズー運動は終わりを迎えました。ファン・ボイ・チャウも日本から追放されることになり、浅羽佐喜太郎の元に別れの挨拶にいきます。その後、中国に逃れて越南(ベトナム)光復会を設立し、武力によるベトナムの開放を目指しました。同じ時期にファン・チュー・チンもフランス総督府により逮捕され、東京義塾も設立1年で閉鎖されてしまいました。
今も残る浅羽佐喜太郎記念碑
1917年にファン・ボイ・チャウは再び日本を訪れました。しかし浅羽佐喜太郎はファン・ボイ・チャウが日本を発った翌年の1910年9月25日に亡くなっておりました。これを知ったファン・ボイ・チャウは大いに悲しみ、翌年の1918年に再度日本に訪れて先生の墓前に記念碑を建立することにしました。石碑を作るのに100円、それを運搬して設置するにはさらに100円以上かかることがわかりました。120円を持っていたファン・ボイ・チャウは中国に渡り資金を工面しようとしました。このことを東浅羽の村長に話したところ村長が感激し、授業参観の学校にファン・ボイ・チャウを連れて行きました。そこで村長は事の次第を説明し、石碑の運搬及び建設費は学校が拠出することと提案し、皆に賛成されました。
石碑の完成には1ヶ月を要し、浅羽佐喜太郎家の墓所である常林寺境内に設置されました。この高さ3mあまりの石碑には以下の意味の文言が刻まれています。
われらは国難のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。思うに古今にたぐいなき義侠のお方である。ああ今や公はいない。蒼茫たる天を仰ぎ海をみつめて、われらの気持ちを、どのように、誰に、訴えたらいいのか。ここにその情を石に刻む。
豪空タリ古今、義ハ中外ヲ蓋ウ。公ハ施スコト天ノ如ク、我ハ受クルコト海ノ如シ。我ガ志イマダ成ラズ、公ハ我ヲ待タズ。悠々タル哉公ノ心ハ、ソレ億万年。
大正七年三月 越南光復会同人
裏面には「大正七年三月。賛成員 岡本三治郎、岡本節太郎、浅羽義雄」との記載があります。
この記念碑は100年たった今も静岡県袋井市(旧浅羽町)常林寺に残っており、地元では定期的に記念行事が行われているほか、ベトナム総領事やベトナム人留学生が訪問しています。
記念碑に訪問してきました
静岡県袋井市にある常林寺。
入ってすぐ左のところに記念碑があります。
主要人物
ファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu/潘佩珠)
ファン・ボイ・チャウ(Phan Bội Châu/潘佩珠)10代の頃から反仏独立運動に参加し、阮朝皇族のクォン・デを盟主としてベトナム革命組織、維新会を組織。その後日本に渡り、ドンズー運動に注力。日本追放後は中国に渡りベトナム光復会を組織するもののベトナムの独立は叶わず、1925年には上海にてフランスにより逮捕され、終身刑を言い渡される。ベトナム世論に押されて恩赦となったが、フエに軟禁された状態で生涯を終えました。
ファン・チュー・チン(Phan Châu Trinh/潘周楨)
ファン・チュー・チン(Phan Châu Trinh/潘周楨)1905年にドンズー運動で日本に渡り丙午軒を建立。その後はベトナムに帰り1907年には東京義塾を設立したが1908年にフランス総督府に逮捕される。死刑は免れたものの終身刑を言い渡され、コンダオ島に流刑される。3年後の1911年に恩赦で釈放された後にフランスへ追放される。1915年にはパリでホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh/胡志明)らと活動を行う。1925年にサイゴンに帰国し、翌年病気で生涯を終えました。
浅羽 佐喜太郎
帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業し、小田原市、国府津、浅羽町にて病院を開業。貧しい人からは治療費を取らないという方だったそうです。当時は不治の病である肺結核を患っており、ファン・ボイ・チャウが来た際には自分の全財産をベトナム革命のために提供。翌年その生涯を終えた。
日越交流40周年記念ドラマ「パートナー」
2013年には日本・ベナム国交樹立40周年企画としてスペシャルドラマ「パートナー」が制作されることが決定。ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の日本のTBSテレビとべトナムのVTVによる史上初の合作のドラマである。このドンズー運動を題材として、親子、夫婦、恋人、友人、仕事相手、国と国等様々な形でのパートナーを描く、愛と友情の物語です。
日本ではTBSは2013年9月29日21時(ベトナム時間19時)放送。
ベトナムではVTVで2013年9月29日20時(日本時間22時)放送。
キャスト
【明治編 (100年前) 】
浅羽佐喜太郎:東山紀之
ファン・ボイ・チャウ:Phạm Huỳnh Đông (ファン・フィン・ドン)
大岩あかね:武井咲
浅羽まさ:吹石一恵
犬養毅:武田鉄矢
大隈重信:柄本明
クオン・デ:Nguyễn Bình Minh (グェン・ビン・ミン)
チャン・ドン・ファン:Lê Hồng Đăng (レ・ホン・ダン)
【現代編】
鈴木哲也:東山紀之
リェン:Nguyễn Lan Phương (グェン・ラン・フォン)
鈴木さくら:芦田愛菜
畠山紀彰:中丸雄一 (KAT-TUN)
大岩真知:十朱幸代
【スタッフ】
ゼネラルプロデューサー:林慎太郎(TBS)、三城真一(TBS)
TVAD&サービスセンター社長:Đỗ Thị Lan Hương (ド・チ・ラン・フン)(VTV)
VTV国際局局長代理:Thái Nguyệt Quế (タイ・グェッ・クエ)(VTV)
プロデューサー:片山剛 (TBS)、Đỗ Thanh Hải (ド・タイン・ハイ) (VTV)、遠藤正人 (ドリマックス・テレビジョン)
ゼネラルディレクター:武藤淳(TBS)
ディレクター:Phạm Thanh Phong (ファン・タイン・フォン)(VTV)、松田礼人(ドリマックス・テレビジョン)
脚本:谷口純一郎
その他
ホーチミン市の中心部にはこの運動から名前をとったドンズー通りがあります。(ドンズーは南部発音ではドンジュー/ドンユーとなります)。この通りはドンコイ通りと交差する位置にあり、シェラトンホテルやサイゴンセントラルモスクがあります。
ライター情報
ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
ベトナム生活・観光情報ナビ編集部です。ベトナムをもっともっと楽しめる、そんな情報を日々探しては発信しています。こんなこと知りたい!というリクエストがあればお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。