ファン・チュー・チン(Phan Châu Trinh/潘周楨)
更新日:2013年10月7日 / ライター: ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
人物概要
1872年 – 1926年3月24日
1905年にドンズー運動で日本に渡り、丙午軒を建立。その後はベトナムに帰り、1907年には東京義塾を設立したが1908年にフランス総督府に逮捕される。死刑は免れたものの終身刑を言い渡され、コンダオ島に流刑される。3年後の1911年に恩赦で釈放され、フランスへ追放される。1915年にはパリでホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh/胡志明)らと活動を行う。1925年にサイゴンに帰国し、翌年病気で生涯を終えました。
ベトナム各地にあるPhan Châu Trinhの名がついた通りの表記は「Phan Chu Trinh」です(同一人物)。ただ、クァンナムQuảng Nam省タムキーTam Kỳでは「Phan Châu Trinh」という表記になっています。タムキーはファン・チュー・チンが生まれた地。はてさて、これは何か意味があるのでしょうか。
関連項目
ドンズー運動:日越交流40周年記念ドラマ「パートナー」の題材にもなったファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の物語1900年台初頭に起こったフランスからの独立を目指した活動であるドンズー活動の詳細及びファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の関係を史実を元に解説しています。このドンズー活動は日越交流40周年記念ドラマ「パートナー」の題材にもなりました。
その他
ホーチミン市の中心であるベンタイン市場の西側の通りの名前がファン・チュー・チン通りであり、ちょうどファン・ボイ・チャウ通りとは対の位置にあり、同じように観光客で賑わっています。
ライター情報
ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
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