ベトナム戦争当時の南北境界に掛かる橋ヒエンルオン橋に訪問しよう
ベトナムを語る上で避けて通れないのがベトナム戦争。当時は北緯17度線を境に南北ベトナムにわかれていました。その南北境界に位置していたのがヒエンルオン(Hiền Lương)橋。今では隣に立派な国道1号線が走っており、まるで国境であったことなど忘れてしまったように車両が行き交っています。
橋の袂にあるフラッグタワー
橋の脇にはフラッグタワーが立っており、今ではベトナム統一の象徴となっています。
当時は北ベトナム(正式には「ベトナム民主共和国」)の旗が掲げられておりました。ここは非武装地帯(DMZ)の中にありながらも米軍の爆撃により破壊されることもあったそうですが、すぐに修復されて一日も欠かさず旗が挙げられていたそうです。
フラッグタワーから見る新旧ヒエンルオン橋。手前の車が走っている橋が新しく作られた新ヒエンルオン橋。奥にある立派な門があり青色と黄色に塗られた橋が当時から残るヒエンルオン橋です。
フラッグタワーの隣にある会議知る。北緯17度線を境に南北ベトナムに分割することが決定された1954年のジュネーブ協定の実施状況についての話し合いの再現だそうです。
当時の写真も飾られており、会議の様子がよくわかります。
資料館で当時の様子を学ぼう
フラッグタワーから道を渡ったところにあるのが資料館。
入り口には当時使われていた大きな拡声器が飾られております。拡声器に穴がいていたりするのは当時の爆撃の影響なのでしょうか。
資料館に入るとまずホーチミンさんが出迎えてくれます。後ろに書かれているのは、「南部(南ベトナム)は私の心のなかに」と言った意味です。
当時の国境線の様子。左右にまっすぐ引かれている線が北緯17度線。上下2つの線が折れ曲がっている間がDMZで、その中心にはベンハイ川が流れています。その川にかかる当時唯一の橋がヒエンルオン橋。
1961年のヒエンルオン橋の様子を北側から撮影したものです。橋の向こう側には南ベトナム(正式には「ベトナム共和国」)の国旗が掲げられています。
館内にあった当時使われていた自転車及び箱。
当時の橋周辺の様子がたくさんの写真とともに紹介されています。
こちらは当時の戦闘の様子。当時使われていたものの展示もあります。
米軍による爆撃被害の様子も細かく記されていました。ベトナムの博物館はどこもそうなのですが、ここでもかなり生々しい画像を展示しています。
ヒエンルオン橋を歩こう
22年間分断されていて往来ができなかったヒエンルオン橋も今では自由に渡ることができます。看板にもある通り車両による通行は禁止で徒歩のみになっています。
門には「ホーチミン主席万歳」と書かれています。(正確には”ホー主席万年()”ですが、共産党や指導者を称えるときに「万歳」のような意味で使われるそうです。)ちなみに、先ほどの1961年の写真でも同じ文言が掲げられていました。
土手の下、先ほどの反対側から見上げた門。ホーチミンさんの言葉「Việt Nam hòa bình, thống nhất, độc lập, dân chủ và giàu mạnh」が書かれています。ベトナム平和・統一・独立・人民・繁栄、万歳という意味のようです。
橋のふもとから南方面を眺めます。橋の色は北側が青、南側が黄色に塗り分けられています。青はベトコンとも呼ばれた南ベトナム解放民族戦線の旗の色から、黄色はベトナム共和国国旗の旗の色から取られているようです。
橋を渡りきった先には北に向かう母子の像がありました。ジュネーブ協定による南北分断決定後60日間は自由に行き来ができたそうなので、当時の様子でしょうか。当時は北から南に逃れるものも多かったそうなのですが、やはりここでは南から北に逃れる像なのです。
南側から北側を眺めます。立派な門の奥に大きなベトナム国旗がはためいています。南北分断、そして統一の象徴となったヒエンルオン橋、DMZツアー等で訪れることもできます。是非行ってみてはいかがでしょうか。
【フエ発・日本語】DMZ~非武装地帯~日帰りツアーDMZとはDemilitarized zone(非武装地帯)の略で、 ベトナムを南北に分断していた境にあります。 ベトナム戦争の激戦地となったDMZでは、今もなお弾痕など戦争の傷跡が残ります。 戦争の凄惨さを風化させないためにも、日本語ガイドと一緒に自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。
ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。