ダナンからのツーリング ~第3話:ベトナム戦争の遺構に触れ、フエのミーアン温泉へ~

ダナンからのツーリング ~第3話:ベトナム戦争の遺構に触れ、フエのミーアン温泉へ~

更新日:2013年8月8日 (取材日:2013年5月3日) / ライター: aki

前回の記事、「ダナンからのツーリング ~第1話:1号線を北上せよ~」、「ダナンからのツーリング ~第2話:世界最大の洞窟に潜入~」からの続きです。前回はドンホイから世界遺産のフォンニャケバン洞窟・天国洞窟へと進みました。今回はベトナム戦争の遺構であるDMZ地帯を通り、ベトナムの古都、世界遺産のフエへと向かいます。

天国洞窟からベトナムの田舎を通り南へ向かう

世界遺産のフォンニャ洞窟、天国洞窟を見学した後は南に下り、ダナン方面に戻っていきます。次なる目的地はベトナムDMZ。1953年から1975年まで南北ベトナムの国境となっていた地域です。実はダナンからドンホイへ向かうときにも同じ所を通っていたのですが、帰り道で回れば良いと思っていたので立ち寄りませんでした。

しかし、天国洞窟を出るともう午後4時。急いで南下を始めます。

ホーチミン西ルート

天国洞窟からホーチミンロード(西)を抜けていきます。

ラオスとの国境地帯を通るホーチミンロード(西)は完全に山の中を抜けていきます。この山深さ、最高に気持ちいいです。しばらく走ると交差点に出ました。道路看板はとても古く錆びてしまっています。こんな山奥もしっかりとガードレールが整備されているのは驚き。ベトナム、侮れません。ちなみにこの道は北ベトナムが南進するときに作られて、最近舗装されたという経緯があります。戦時中にこんな山奥に何百キロもルートを作ったなんて驚きです。この辺りの緑も、当時は枯葉剤の影響で無かったのでしょうか。

ラオスにも行けます

ホーチミンロード(西)を走っていると古ぼけた道路看板が。右折方面は・・・ラオス39km。

看板をよく見ると、右折方面はラオスでした。この辺りの人々はパスポートも持たずに、国境なんて関係なく生活してるのでしょう。道路中央で若者が楽しそうにたむろっていました。この写真を撮ってからちょっと怖いなと思いながら交差点に向かうと、迷ったのかと思われたらしく親切に「どこ行くんだ?」と聞いて来ました。もちろんベトナム語でしたが。「国道1号線方面は左だよね」と拙いベトナム語で伝えると、みんなそうだそうだと群がりながら教えてくれます。山奥でもベトナム人は本当に親切。

木造家屋

ベトナムの田舎には木造家屋が残っています。日本と同じ風景。

この辺りはまだまだ田舎といった様子で、ホーチミンやダナンのようなところとは全然違います。世界遺産の街ホイアンも田舎町なのですが、もっともっと田舎。木造家屋は日本の同じくらいの田舎と同じような印象を受けました。この辺りで走っているバイクはみんなノーヘル。しかも基本的に3人乗り。林業で生計を立てているのでしょうか、ナタのようなものを持っているものが多かったです。ローカルのお店で買ったとはいえ、パーカーを着てヘルメットをかぶっている僕を見ると「都会から来た人だ」のような視線を受けます。外国人はほぼ間違いなく来ないようなところなので外国人だとは思われていない様子、みんなベトナム語で話しかけてきます。

長距離走ると必要になるのがガソリン。人気のないところを走っていると、道端でガソリンを売っているのを見つけ、慌てて急ブレーキで停車。

道端のガソリンスタンド

道端のガソリンスタンドで燃料を補給。

ベトナムではこの形式のガソリンスタンドがまだまだ沢山残っています。ペットボトルに詰めて売っている所も多いくらい。

道端のガソリンスタンド

タイヤの空気も補給。

タイヤの空気も少なくなっていたので補給。1輪2000ドン(約9円)。この辺りの値段は全国共通ですね。ちなみにこのお店の全景を撮ってみました。

ガソリンスタンド全景

とっても小さなガソリンスタンドです。

この素朴な感じ、大好きです。ホーチミンロード(東)に戻ると後はドンホイまで来た道を戻ります。

ホーチミン東ロードを進む

ホーチミンロード(東)に出ると、ドンホイまで来た道を戻ります。

ドンホイ付近の看板にはホーチミン1205キロの文字が。ちなみに右方向はホーチミンロードです。左方向は国道1号線。

遙かなるホーチミン

ホーチミンまでは1205キロ。かなり遠くまで来ています。

後はひたすら国道1号線を南下します。時間はもう5時半。DMZのうち、地下トンネルやケサン基地跡はルートから少々外れ、今回は間に合わないだろうということで主要なヒエンルオン橋のみ行くことにしました。

ベトナムのDMZ

ひたすらバイクをかっ飛ばすこと1時間、ヒエンルオン橋に到着です。たどり着くともうあたりは薄暗くなっています。

ヒエンルオン橋横のオブジェ

ヒエンルオン橋のたもとには大きな国旗とベトナムの地図のオブジェがあります。

ヒエンルオン橋はベトナム戦争の時は南北の国境として、往来が制限されていた他、激しい空爆を受けていました。鉄鋼製の橋には銃痕とみられる後がいくつも残っていました。

ヒエンルオン橋

ベトナム戦争当時、南北の国境として往来が禁止されていた橋。北ベトナム側から南ベトナム側を臨みます。

今は新しい橋が写真右側に架けられ、戦争当時から残っている橋は歩行者専用となっています。ゲートも戦争当時から保存されているものです。

ヒエンルオン橋を歩く

ヒエンルオン橋を歩いてみました。歴史を感じます。

今は美しい川ですが、当時は枯葉剤の影響で緑は全く無く、沢山の人が命を落としたのかと思うと言葉が出て来ません。ひたすら歩きます。

ヒエンルオン橋

南から北方向も見てみました。

当時はゲートの周りには拡声器も取り付けられていたようです。今も橋の横の記念公園に保存されていますが、これまた空爆の後なのか穴だらけ。今は大型トラックや大型バスがひっきりなしに通り、ここが国境だということはバスに乗っていると気づかないのではないでしょうか。国境ってなんなんだろう、と考えてしまいます。

橋の脇にあった小さな商店で水とお菓子をいただき、フエへと向かいます。まだ100キロあるなんて・・・。

※ちなみにヒエンルオン橋は後日日中に訪問した記事がありますので、こちらも合わせてご覧ください

ベトナム戦争当時の南北境界に掛かる橋ヒエンルオン橋に訪問しよう
ベトナム戦争当時の南北境界に掛かる橋ヒエンルオン橋に訪問しよう

住所:

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ベトナムを語る上で避けて通れないのがベトナム戦争。当時は北緯17度線を境に南北ベトナムにわかれていました。その南北境界に位置していたのがヒエ…

そしてフエのミーアン温泉へ

フエに着いたらどこに行こう?そうだ温泉に行こう!ということで目的地は温泉。例によってホテルも取っていないのですが、ホテルは深夜でも泊まれるので営業時間が迫る温泉に直行することにしました。久しぶりの湯船、しかも本物の温泉を思い浮かべてひたすら無心にバイクを飛ばします。そしてついに、9時半。ヒエンルオン橋を出てから2時間で温泉に到着です!

温泉の入り口を示す看板

ミーアン(MY AN)温泉の入口を示す看板が道路の上にかかっていました。

夜でもわかりやすいように道路の上にサインがありました。道路の使用許可はどうなってるんだろうと一瞬考えちゃいました。でもこの看板、わかりやすくて好きです。

フエ市街からも近い本格的な温泉「ミーアン温泉」
フエ市街からも近い本格的な温泉「ミーアン温泉」

住所:

(まだ評価がありません)


ベトナム中部のフエにはいくつかの温泉があるのですが、今回紹介するのは市街地からも近いミーアン温泉。意外と本格的な温泉が楽しめます。 …

フエ~

次回でやっと完結。「ダナンからのツーリング ~第4話(完結):故都フエと東南アジア最長のトンネル~」に続きます。

ルートマップ

 

ルートマップ

今回の記事のルートマップです。

前回:「ダナンからのツーリング ~第2話:世界最大の洞窟に潜入~」
前々回:「ダナンからのツーリング ~第1話:1号線を北上せよ~」
次回:次回でやっと完結。「ダナンからのツーリング ~第4話(完結):故都フエと東南アジア最長のトンネル~」に続きます。

参考:DMZへの現地ツアー

DMZへは現地ツアーでも訪れることができます。

【フエ発・日本語】DMZ~非武装地帯~日帰りツアー
【フエ発・日本語】DMZ~非武装地帯~日帰りツアー

DMZとはDemilitarized zone(非武装地帯)の略で、 ベトナムを南北に分断していた境にあります。 ベトナム戦争の激戦地となったDMZでは、今もなお弾痕など戦争の傷跡が残ります。 戦争の凄惨さを風化させないためにも、日本語ガイドと一緒に自分の目で確かめてみてはいかがでしょうか。

ライター情報

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aki

旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。

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