イエンバイ省とソンラー省にまたがるタースア山(Núi Tà Xùa)登山とモン族

イエンバイ省とソンラー省にまたがるタースア山(Núi Tà Xùa)登山とモン族

更新日:2016年4月14日 (取材日:2016年2月22日) / ライター: 内藤 健朗 - Naito Takeaki -: N.N.T Co.,LTD.

ベトナム北西部イエンバイ省(Tỉnh Yên Bái) とソンラー省(Tỉnh Sơn La)の間にあるタースア山(Núi Tà Xùa)に登ってきました。ベトナムはサパ(Sapa)から登るファンシパン山(Núi Fansipan)が有名ですが、北部にはまだ観光地化されていない素朴な地域も多く残ってます。

チャムタウの町(Trạm Tấu)郊外の棚田 モン族は美しい棚田を作るので有名

チャムタウの町(Trạm Tấu)郊外の棚田 モン族は美しい棚田を作るので有名

ハノイからタースア山の麓へ

タースア山(Núi Tà Xùa)は標高2865m。ベトナムで10番目に高い山。山頂への途中「恐竜の背」と呼ばれる険阻な尾根を登り、この山で登山する醍醐味の一つです。タースアとは地元モン族の言葉で、「高い山」を意味するそうです。

タースア山(Núi Tà Xùa)の尾根

タースア山(Núi Tà Xùa)の尾根

ノイバイ空港からは、レンタカーで高速道路を通りイエンバイ省まで向かいました。

北部の高速道路は長距離バスが路肩で客を拾ったり、降ろしたり、洗車したりと南部では見かけない光景に驚く。途中で昼食したこともあり、宿泊するチャムタウの町(Trạm Tấu)には、7時間半くらいで到着。町に1つしかないゲストハウス(Nhà Khách)に宿泊します。スプリングが飛び出し掛けた様な、ひどいベッドでした。

翌朝9:00頃、雇ったガイドの手配するバイクで、ガイドのいる村まで移動。登山口はチャムタウ(Trạm Tấu)から南西へ5kmくらい離れた所にあります。今回のガイドはモン族(H’mông)のアークー(A Ku)さん。ポーター5人もモン族。

モン族のポーター 20代前半の若者ばかり この地域では民族衣装を着た男性は少ない

モン族のポーター 20代前半の若者ばかり この地域では民族衣装を着た男性は少ない

モン族はサパでは黒モン族、バックハー(Bắc Hà)では花モン族が有名ですが、ここイェンバイでは緑の衣装が多く、緑モン族と呼ぶのが適切でしょうか。同じ民族でも地域によって好む色柄が異なり、興味深いです。この辺りの気温は夜は10度Cを切りテト前の寒波では雪も降った地域だが、サンダルだけの人、ハダシの人もいます。子供たちもハダシ。逞し過ぎます。

モン族の家の中 土間で直接煮炊きしている

モン族の家の中 土間で直接煮炊きしている

アークー(A Ku)さんの村は小さな2つの丘を棚田にして独特の形状が美しく、ネットでも写真を見ることができます。水が張ってないと古墳か何かの遺跡のようにも見えます。特徴的な形状の棚田のため、山の上からも良く目立ちました。

山の上から見たモン族の村 丸い棚田が見える

山の上から見たモン族の村 丸い棚田が見える

モン族の村は電気は来て各家庭にバイクもあり、多くは携帯電話も持っています。しかし全体的には、まだまだ貧しいです。観光客は少ないため、土産物屋や飲食店はありません。村のお店は1件の肥料屋さんだけ。当然、サパのような物売りもいないです。舗装されている道は村の中心だけで、家畜の糞があちらこちらに散らばってたりします。おせじにも綺麗な村とは言えませんが、これが本来の彼らの生活なのでしょう。

モン族の家

モン族の家

タースア山を登る

初日のお昼まで、モン族のハンターと一緒に登りました。彼は銃身の長い手製の猟銃を持っており、これで鳥やリスを撃つとの事。政府は手製の猟銃を取り締まるべきとの論評を新聞で読んだことがあります。しかし、このような山奥まで管理でるのでしょうか?狩猟も彼らの伝統的な生業の一つで、ポーターとして山に入るときも野ネズミを捕る罠を持って行きます。銃を取り締まれば、彼らも反発するでしょう。

モン族のハンター 細長いのが、手製の猟銃

モン族のハンター 細長いのが、手製の猟銃

夜、我々登山客はテントで就寝しますが、モン族はテントではなく、地面に刈り取った笹を敷いて焚き火の周りで寝ていました。就寝前には、何やらお祈りをします。口調から彼らは仏教でもキリスト教でもなく、自然崇拝(シャーマニズム)のようです。時おり雨が降りその時は騒いでいましたが、暫くして雨が止むとまた静かに。逞しいです。

モン族の野営の仕方 雨合羽を屋根にし、床に笹を敷いただけ

モン族の野営の仕方 雨合羽を屋根にし、床に笹を敷いただけ

登山中、我々は一生懸命、数kgの荷物を背負うだけで力を振り絞って登りますが、モン族のポーターは余裕の表情で、20kgの荷物を背負い楽々と登ってきます。バランス感覚も絶妙で、荷物を背負いながらぴょんぴょんと飛び跳ねるように登り下りして行きます。荷物なしの登山者と20kgの荷物を背負ったモン族では、確実にモン族の方が速いでしょう。この山岳地帯での優れた運動能力、生存能力のため、ベトナム戦争時には双方の勢力に組み込まれ、同族同士で戦ったそうです。

手前はモン族のポーター 奥の4人は登山客

手前はモン族のポーター 奥の4人は登山客

モン族について

帰宅後、モン族について、さらにネットで調べた内容を簡単に載せます。

• モン族は、中国南部、ベトナム、ラオス、タイ北部に住み、総勢1100万人くらい。結構大きな民族です。
• 中国では苗族(ミャオ族)と呼ばれているが、漢民族による他称で自分たちはモンと名乗っている。以前サパで聞いたのですが、モン族はモン以外にフーモン(H’mông)という呼び方もあるようです。ただ、メオ族(Mẹo)と呼ばれるのを非常に嫌がるそうです。
• 着ている服装の色によって、黒、白、青、赤、花など色のついた部族名が付く。黒モン族、白モン族など。
• 独自の文字はなく、歴史も口頭伝承で伝える。すべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、樹、岩、山、川、泉などを崇拝する。夜、就寝前に自分たちのルーツとかも口頭で読み上げていたのかも知れません。
• Y染色体ハプログループでは、日本人と同じDグループに属する人もいる。日本人のグループとは、3.5~4.0万年前に分岐した。幼い子供を背中におんぶするところは、日本人に似ています。キン族は脇に抱えるようにだっこするので、違いが分かります。
• ミャオ・ヤオ語族(またはモン・ミエン語族)で独自の言語がある。豊富な声調がある。彼らの会話を聞いていると、中国語の方言を話しているような感じがします。時々日本語に似た発音の単語が出てきて驚くことも。
• インドシナ戦争、ベトナム戦争では、敵味方に分かれ戦った。負けた方のモン族たちはタイへ難民となったり、アメリカ、フランス、オーストラリアなどへ移住した。
• モン族は山岳地帯へ移る前は華南地方にいたので、日本へ稲作を伝えた集団のひとつと考える学者もいる。

そんなモン族の方々と一緒に登山するのはとても面白い経験でした。

ライター情報

内藤 健朗 - Naito Takeaki -: N.N.T Co.,LTD.

内藤 健朗 - Naito Takeaki -: N.N.T Co.,LTD.

大学卒業後、ベトナム語の語学留学でベトナム語を勉強。1993年から在越。約8年会社勤めをした後、2004年11月に独立、貿易会社経営。品質管理、生産管理に強い。機械、樹脂製造業のほか食品、美容、農業関係の商品も取り扱う。あまり日本人が行かない地域への出張も多い。近年は輸出入業だけでなく、ベトナム国内マーケット開拓に注力。 プライベートでは、僻地、秘境の旅行地開拓を得意とし、今の趣味は登山、キャンプと筋トレ。

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