ベトナム・ホーチミンで見た国際女性デー(3月8日)の様子と街中に掲げられた横断幕
昨日3月8日は国際女性デーでした。日本ではなかなか馴染みのない記念日ですが、ここベトナムでは誰もが知っている記念日で、女性にプレゼントをあげない訳にはいかないほどです。
ホーチミン市の中心、4月30日公園にも「国際女性デー104周年を暖かく祝います」と書かれた看板が掲げられています。
そんな国際女性デーの様子を紹介します。
国際女性デーとは?
そもそも、国際女性デーと言ってもピンと来ない日本人の方が多いのではないでしょうか。
1857年の3月8日にニューヨークで女性労働者の労働環境改善を求めるデモが起こりました。その約50年後、1904年(1908年という説もあるそうです)の3月8日には、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしました。これを受けて1910年にドイツの社会主義者が国際社会主義婦人会議において「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念日とするように提唱したのが始まりです。その後の1917年、ロシアで女性労働者から端を発したデモは男性労働者、さらには軍をも巻き込み大規模なデモとなりました。今では2月革命と呼ばれるこの事件がロシア帝国の崩壊、ソビエト連邦の設立に繋がったのです。このような経緯もあり、旧ソ連諸国においては国際女性デーは2月革命記念日と同じ日であり、政治的な意味合いも持っていたようです。ちなみにこの後の1975年に国連によって国際婦人デーとして正式に定められました。
ベトナムの他にも中国では「婦女節」という名前で親しまれているほか、ロシアの「女性の日」のように旧ソ連諸国を中心に祝日となっている国も多くあります。今では国際女性デーは政治的な意味合いはなく、単に女性に対してギフトを送ったりする日となっているようです。
ベトナムにおける国際女性デー
ベトナムでも男性から女性に対してギフトをあげることが日常的に行われています。会社から女性社員に対してギフトを送ることもしばしば。街中の花屋ではどこも国際女性デーのプロモーションを行っていました。
ベトナムらしいと思った光景がこちら。
3月8日当日は路上に沢山の花売りがいました。写真は1枚だけなのですが、売っている花束の種類も様々で、かごに入ったものや、風船で作られた花束などがありました。ベトナム人の話によると、学生が自分たちで作って売っていることもあるそうで、確かに売っているのは若い男女が多かったです。
カップケーキ店にも国際女性デーのための花束とケーキをセットにしたものが売られていました。実は私のスタッフには人数がまだ少ないこともあってこれを買って行きました。喜んでくれて良かったです。
スーパーなどでも国際女性デー用商品が売られているのをよく見ました。企業にとっては一つの商戦となっているのかもしれません。
掲げられた看板に書かれたもう一つの意味とは
実は最初に紹介した公園の横断幕、1行目は上で紹介したとおり国際女性デー104周年についてなのですが、2行目には別のことが書かれています。その内容は、「ハイ・バー・チュン(Hai Bà Trưng)の蜂起1974周年を祝う」というものです。
ハイ・バー・チュンといえばベトナムで住んでいる人であれば誰もが聞いたことのある名前でしょう。主要な通りの名前になっている他、ハノイではハイ・バー・チュン区と区の名前にもなっています。ハイ=2、バー=女性の敬称、チュン=名前という意味なので日本語だとチュン姉妹と言われています。
1974年前の西暦40年、当時のベトナムは中国(後漢)の支配下にありました。徴税権も中国側へと移管されていたのですが、当時の中国側の悪政もあってチュン姉妹がこの徴税権を取りまとめることを配下の65県が同意し、ベトナム側に徴税権を取り戻したのです。この動きは後漢からは反乱行為だと判断され、2万もの軍を率いて制圧することになります。チュン側は必死の抵抗をするのですが、43年についにチュン姉妹は殺害されてしまいました。
チュン姉妹が支配していた期間はわずか3年間と短いのですが、ベトナムの女性英雄として今でも語り継がれ、東洋のジャンヌ・ダルクと呼ばれることもあります。
このハイバーチュンの蜂起を国際女性デーと一緒に祝いましょう、という横断幕を見て、とてもベトナムらしいと感じていました。
ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。