コンダオ島にある8つの収容所跡を訪ねて流刑地としての歴史に触れる
今ではリゾート開発が始まりベトナム最後の楽園とも呼ばれているコンダオ島。1975年のベトナム戦争終結までは流刑地として使われており、今も当時の収容所跡がいくつも残っています。ホーチミン氏の次の国家主席となったトン・ドゥク・タン氏もフランス植民地政府により囚えられていたなど、ベトナム革命の英雄も多く収容されていました。
コンダオ島に作られた収容所は8つで、その内4つがフランス植民地政府により作られたもの、もう4つは南ベトナム政府によって作られたものです。
目次
フランス統治時代に作られた4つの収容所
フランス統治時代には1862年から1941年にかけて4つの収容所が作られました。ホーチミンの戦争証跡博物館にレプリカのある「虎の檻」と呼ばれる拷問部屋もこの時代の1940年に作られました。
フーハイ(Phu Hai)収容所
1862年に作られたコンダオ最初且つ最大の収容所。
入口の上の見張所の守衛がリアルで一瞬ドキッとします。上に登ると、収容所の中、外ともに見晴らしが良いのがわかります。
収容所の中心には教会があります。
敷地内には10の大部屋と20の独房があります。写真にもある足かせを全員はめられていたそうです。
別の部屋に展示されている収容者の様子。
クラブ活動のための場所もありました。
よく知られる英雄が収容されていたところには、それを示す看板があります。ベトナム革命後の政府高官等も当時は反フランス分子として収容されていました。
フーソン(Phu Son)収容所
フーハイ収容所の隣に1916年に建てられたフーソン収容所。
収容所は一般公開されておらず、門は閉ざされていました。
収容所内は当時のまま放置されているような印象。
フート(Phu Tho)収容所
1928年に作られた海沿いのフートゥオン収容所の隣にある収容所。門は閉ざされており、見学に入ることはできないが、門の隙間から中を見ることは可能。
>>次のページヘ続きます:有名な「虎の檻」とベトナム戦争時代に作られた収容所ライター情報
aki
旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。