コンダオ島に点在している歴史的遺跡を一挙ご紹介

コンダオ島に点在している歴史的遺跡を一挙ご紹介

更新日:2016年6月30日 (取材日:2016年2月20日) / ライター: aki

流刑地としての歴史を持つコンダオ島にはコンダオ博物館8つの収容所跡などの歴史を今に伝える場所がありますが、その他にも小さな、しかし歴史的には大きな出来事であった場所がいくつか存在します。今回はそんなコンダオ島の遺跡を紹介します。

914埠頭

914埠頭

914埠頭

コンダオ島の街の中心にある桟橋は914埠頭と呼ばれています。

914埠頭の記念碑

914埠頭の記念碑

収容所の人々による強制労働で作られた埠頭で、完成までに914名の命が失われたためにこの名前になっています。

914埠頭からの景色

914埠頭からの景色

美しい海にある埠頭というのがより残酷さを感じます。

牛の檻

1930年に建てられた牛の檻と呼ばれる建物。と言っても、牛が入っていたわけではありません。強制収容者の人格を破壊するために牛と同じような扱いをしていました。敷地内には肥溜めもありますが、収容者を虐待するために使われていたそうです。

牛の檻と呼ばれる建物

牛の檻と呼ばれる建物

ここにはコンダオ島初となる収容者の墓地もあります。

牛舎と墓地

牛舎と墓地

フランスに対して反旗を翻した収容者100人が殺害され、20名の収容者に大きな穴を掘らせて、100名の死体とともにその20名も埋めたそうです。

マーティエンラン橋

1930年に建設されたマーティエンラン橋。収容者に強制労働をさせて、山から石を運んで橋を作っていました。

マーティエンラン橋

マーティエンラン橋

その過酷な労働条件と食糧不足や体罰により356名の命が失われ、結局この橋は完成しませんでした。

フランス人統治者の家

914埠頭の正面に現在は資料館となっているフランス人統治者の家があります。

現在は資料館になっています

現在は資料館になっています

今の大きなコンダオ博物館ができる前はこの建物が博物館となっておりましたが、今は小さな資料館といった内容になっています。

フランス統治者の家

フランス統治者の家

1952年12月の脱走

1952年12月の脱走

1952年12月の脱走

1952年12月に198名の収容者が強制労働中に脱走を試みました。残念ながら悪天候のせいで脱走には失敗、81名が海で死亡し、117名は再度囚えられました。

ソー・ロ・ヴォイ(So Lo Voi)

So Lo Voi

So Lo Voi

ここには強制労働より建設のための石灰を作るための施設がありました。今は道路脇に放置されており、自由に見学することができます。

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ライター情報

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aki

旅をするように生きていたい、そう思っていたら気づくとホーチミンにいました。本業の傍ら、ベトナム観光・生活情報ナビ、Samurai Cafe Saigonをやったりしています。ベトナム・ホーチミンから、日本とは一味違うベトナムの日常をお届けします。

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