ベトナム・ホーチミンで働く日本人~HR Luminessence 石井さん~
更新日:2016年7月22日 (取材日:2016年6月13日) / ライター: JAC Recruitment Vietnam
日本の大手製薬会社でどっぷり12年間勤めた後、ご主人のお仕事に帯同する形でベトナムにいらっしゃったという、石井さん。現在は独立されて、人事管理のコンサルティングを行われている、輝くキャリアウーマンです。
会社員時代からベトナムで“ジャパン・フェスティバル”を開催されたお話しまで、充実したご経験をお話していただきました。
「人生は一度きり」理学部から民間企業への就職
日本ではどのようなお仕事をされていたのですか?
大手の製薬会社に12年間勤務していました。大学では理学部に在籍しており、臨床検査技師という道もあったのですが、内勤ではなく「外に出たい!」という気持ちがあったので民間企業への就職を選択しました。自分の専門性を活かして、人と関わりながら働ける仕事に魅力を感じたのです!
理学部出身というのは驚きました!民間企業の中でも「製薬会社」を選択された理由はございますか?
小さい薬に秘められた可能性に惹かれました。会社理念に共感できたというのも、その会社に就職した理由です。入社してみると、その会社の方は良い影響を与えてくれる方もおり、ジョブローテーションによって関心のあった「経営」や「海外」に関わる仕事に近づくことができたので、仕事は充実していました。この会社に貢献したいという思いもあって、かなり身を入れて働いていましたよ。
なぜ仕事に対してモチベーションを高く保てたのでしょうか?
自分の成長を日々感じられることに、やりがいがあったんですよね。人生は一度きりしかないので、常に能力を越えて行きたいと思っています!!早朝から深夜まで働くこともあり、大変な仕事では有りましたが、それでも楽しかったです。
会社の退職、ご主人とベトナム帯同、ベトナムで起業
ベトナムにいらっしゃった理由を教えて下さい。
夫がベトナムで新規事業を立ち上げることになったことがきっかけです。日本で勤務していた会社を退職して、ベトナムへ一緒に渡ってきました。
ご主人とベトナムにいらっしゃったんですね!やりがいを感じていた会社を退職して、ベトナムに来ることに抵抗はなかったのですか?
入社して12年経ち、更に自分を成長させたいという思いもあり、退職する決断ができました。いまはこうして海外で働いていますが、会社に残っていたら海外赴任がいつ叶うかわからなかったので、結果として自分でベトナムに来る決断ができてよかったと思います。
それに、もともと海外志向を持っていて、海外に居住したい気持ちがありました。“住むこと”はその国の当事者になることだと考えているので、旅行や出張ではなく“居住”という形に惹かれていだんです。そのため、ベトナムへ来ることに対してマイナスな感情はなかったです。
ベトナムにいらっしゃってから、どのように過ごされていたのですか?
最終的には自分で事業を立ち上げることになったのですが、最初は仕事をせず夫のサポートをしていました。ですが、ベトナムに来て半年くらいの時に「ジャパン・フェスティバル」を自ら企画し立上げ、事務局長として開催までこぎつけたのは、大きな出来事です。仕事というよりもボランティアという形でした。
※ジャパン・フェスティバル…2013年よりホーチミンにて行われている、ベトナム最大の日越交流イベント
ジャパンフェスティバル・イン・ベトナム2015がホーチミン市で開幕しましたいよいよ今日(11月14日)からジャパンフェスティバル・イン・ベトナム(以下JVF2015)が9月23日公園等で開催されます。それに先立ち、13日に記者会見及び開会式が行われました。 ジャパンフェスティバル・イン・ベトナム開催にあたっての記者会見 JVF2015実行委…
なぜ「ジャパン・フェスティバル」を開催することになったのですか?
ベトナムに来てから日本が他国のパワーに負けている印象を持ち、『ベトナムで日本のプレゼンスをあげたい』という使命感を抱いたのがイベントを開催しようと思った理由です。「フードエキスポ」という食のイベントで日本のブース数は圧倒的に韓国に押されていて、当時は為替の影響もあってか街を歩いていても韓国企業の看板が圧倒的に多いように感じました。何より、音楽やファッション、ドラマといった文化そのものが浸透していたのです。日本はベトナムに対してODAやFDIで多額の投資をしていますし、ベトナムは親日家が多いと言われています。このような現実に、期待とのギャップを感じました。ビジネスチャンスを逃している気がして、この状況をなんとかしたいと思ったのです!
日本でバリバリとご活躍されていた石井さんだから、開催できたように感じます。
最も苦労されたのはどのような点でしょうか?
日越友好40年という節目に開催する大規模なイベントということもあって、大使館はじめ政府の各機関との連動が必要であり、その調整に苦労しましたね。直前まで準備に追われ、率直に、とても大変でした。1日を1ヶ月に感じ、1ヶ月を3ヶ月に感じるような日々でしたね。
石井さんは「ジャパン・フェスティバル」をどのようなイベントにすることを目指していたのでしょうか?
「食と文化」を入り口にて企業のブースを設け、まず日本のことを知らせて、親しみをもってもらうことを目指しています。そして、最終的にはこのイベントがベトナム人とビジネスをする際の糸口になってほしいです。
現在は、日本と東南アジアを飛び回っています。
現在はどのような仕事をされているのですか?
起業をして、人事コンサルタントとして働いています。以前はベトナムに住んでいたのですが、現在はどこかに拠点を構えるというよりも日本各所やベトナム、タイを移動しながら働いています。
製薬会社で勤務していたにも関わらず、なぜ“人事”の道に進まれたのでしょうか?
前職で、人事の「組織風土の醸成」という役割を担当したことがきっかけです。企業の体制変更によって社内が混乱している時期で、毎日120%を尽くして働いていましたね。その中で人と人との関わり方に興味を持つようになり、人事関連の仕事に至りました。
現在の働き方についてどのようにお考えですか?
仕事とプライベートの境目がない働き方だと思います。仕事で出会った人との縁で出張に行き、そこから仕事につながったり…と、人との繋がりが大切です。また、海外にいると、日本を客観的に見えるようになるのが良いですね。
これからのビジョンはございますか?
70歳になった時に、「石井さんと話すと面白い、勉強になる」と言われるような人でありたいです。周囲の様々な人に対して、良い影響を与えられる人になっていたいですね。そのためにも、まずは、現在の仕事の事業拡大を図っていきます。
インタビューの感想
自分の専門性を身につけ、ご自身で事業を立ち上げなど女性として着実にキャリアを積み上げている姿が印象的でした。だからこそ、ご主人の帯同のため長年勤めた会社を辞めてきたというお話しには驚きました。そのような選択をされたのも、それまで会社で全力で働かれてきたからこそだと思います。
女性として生きる上で、ライフイベントによって方向転換せざるを得ない状況になる可能性は常にあります。その際に、どの環境でも「自分はこれをやりたい!」「これなら出来る!」というものがあると、そんな変化の中でも自分らしく生きられるのではないかと感じました。それが実現できている石井さんの生き方は素敵です。
限られたベトナム滞在の期間にも関わらずお話しいただいた石井さんに感謝申し上げます。
取材:6月13日明石 華奈 (JAC Recruitment Vietnam インターンシップ生)