ハノイの旧市街は道の由来を知ると街歩きが楽しくなる

ハノイの旧市街は道の由来を知ると街歩きが楽しくなる

ハノイの旧市街はハノイ観光で欠かせない目的地。なんと2000年も前から街があったというから驚きです。

ハノイの旧市街には「ハノイ旧市街36通り」と呼ばれる通りがあり、その全ての通りには何を売っているのかを表す名称が付けられています。今も各通りごとに同じ商品を扱う店が集まっているのですが、通りの名前と違うものが売られている通りも多くあります。この36通りの由来を知ってから歩けば更に楽しめること間違い無し!

ハノイの旧市街

ハノイの旧市街

ハノイの旧市街の多くの通りは「ハン」(Hang)という名前がついています。ハンはベトナム語でお店という意味で、道ごとに何を売っているか表す名前になっているのです。

ハンバック(Hang Bac)通り

ハンバック通り

ハンバック通り

バック(Bac)は銀といいう意味。ハンバック通りは13世紀ごろにできた旧市街でも古い通りで、レタントン皇帝(在位1469-1497)の時代に銀の地金工場が並んでいました。18世紀頃からは銀だけではなく両替商や宝石商も集まるようになってきました。フランス統治時代には”両替通り(Rue des Changeurs)”とも呼ばれたそうです。

アクセサリー店の間にCD店

アクセサリー店の間にCD店

現在のハンバック通りは金やアクセサリーのお店が並ぶ一方、旅行者向けのお店も増えています。

ハンベー(Hang Be)通り

ハンベー通り

ハンベー通り

19世紀半ばに竹いかだの職人がハンベー通りのミーロック(My Loc)門の外側に集まっていました。竹いかだはハノイの浅い川を移動するのに便利でした。

旅行者向けの店が並ぶ

旅行者向けの店が並ぶ

今は安宿、おみやげ店、カフェ、バーなど外国人旅行者向けのお店が並んでいます。

カウゴー(Cau Go)通り

「木橋」という意味の買うごー通り。ホアンキエム湖から少し北にあること通りには木でできた橋がありました。約150年前にはホアンキエム湖に流れこむ細い川があり、ここで絹を洗ったりする人も多かったようです。フランス統治時代に衛生上の問題と土地を増やす目的で川は埋められて、橋ではなく普通の道路になりました。

今では旅行者向けのお店が並んでいます。

ハンダオ(Hang Dao)通り

ハンダオ通り

ハンダオ通り

ハノイ旧市街を南北に貫く最も古い道の一つで、フランス統治時代には絹の取引が行われていました。旧暦の1日、6日には絹製品のセールが行われていました。

15世紀の初め、ハイフン省から深いピンク色に絹を染める職人がこの地に来ました。通りの名前のDaoはベトナムの旧正月のシンボルでもあるアプリコットの花のピンクを表します。この色の需要はとても大きく、とても多くの場所でこの色の染めが行われていました。

18世紀までの間に染料の色は増え、地の赤い色、中国の黒などの様々な色を染めるようになりました。19世紀では100件もの建物が並びましたが、10件ほどがレンガで残りは茅葺の家でした。その後、インドの布商人が西洋から輸入した絹や木綿のお店を開き、今では洋服店が並んでいます。

ドンスアン(Dong Xuan)通り

もともとはニエムチュン(Nhiem Trung)とハントゥック( Hau Tuc)という2つの村があったドンスアン通りは、水路が主な交通だった時代にはホン川(紅河)の合流点にある東南アジア有数の都市でした。

ドンスアン市場

ドンスアン市場

フランスは税管理などの目的で商人に対して市場の中で商品を販売するように要求し、商人が多くなるとともに市場も大きくなりました。1889年に門が5つある今の市場が完成し、各門では商品の検査が行われていました。1992年に改築されたのが今のドンスアン市場です。

ハンマム(Hang Mam)

ハンマム通り

ハンマム通り

ハンマム通りは昔はハンチュン(Hang Trung)通りとハンマム通りの2つに分かれていました。通り名のマムはベトナムの代表的な調味料ヌックマムなどの魚から作った発酵食品からきており、昔は道の隣に革があり工場が並んでいました。ヌックマムは小魚と水と塩から作られます。長期間熟成させるその樽はハンチュン通りで売られていました。

陶器と石の店が並ぶ

陶器と石の店が並ぶ

1940年代からは陶器やお墓に使う石が売られるようになり、今に至っています。

マーマイ(Ma May)通り

マーマイ通りもハンマー(Hang Ma)とハンマイ(Hang May)通りの2つに分かれていました。ハンマー通りでは 冥器を、ハンマイ通りではランタンが売られていました。ベトナムでは故人があの世で困らないようにとお金、服、趣味の物などを模した 冥器を燃やす習慣があります。フランス統治時代はブラックフラッグ(黒旗)通りと呼ばれました。なぜなら、この地にブラックフラッグと呼ばれた海賊組織の本部があったからです。

フーンチュン寺

フーンチュン寺

マーマイ通りには1450年に建てられたフーンチュン寺があり、タンロン遺跡の施政者であったグエン・チュン・ガン(Nguyen Trung Ngan)が祀られています。

今では旅行者向けの旅行会社、ホテル、おみやげ店、カフェが並び夜遅くまで賑わう旅行者通りになっています。

ハンチック(Hang Thiec)通り

ブリキ職人の通りであるハンチック通りでは帽子の先端部を保護する円錐状の製品を作っており、近くにはハンノン通り(帽子通り)がありました。オイルのランプ、ろうそく台などのブリキ製品も生産されており、今でも板金店が並んでいます。

ハントゥン(Hang Thung)通り

ドンイェン(Dong Yen)門の内側のこの通りでは水やヌックマムを運ぶための樽が作られていました。5月にはセンダン(栴檀)の木が奈良木、5月には落ちた花びらが黄色い絨毯のように地面を染めます。

ハノイの旧市街はハノイの昔からの歴史を残している一方、急速に変化しています。多くの手工業はレストランなどの観光客向けの店へと変わりつつあり、人口の増加にともなって古い建物も大きな建物に建て替えられています。今後、旧市街がどう変わっていくのでしょうか。

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ベトナム生活・観光情報ナビ編集部

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