ベトナム・ハノイで働く日本人~日本国際学校(JIS)杉本麗次さん~
更新日:2016年7月13日 (取材日:2016年6月15日) / ライター: JAC Recruitment Vietnam
今回は、「日本国際学校」の杉本さんにお話を伺ってきました。日本では中学・高校教員として38年間、教育に従事し、広島市教職員組合の委員長を務めるなどご活躍。現在はベトナム・ハノイにて、「日本国際学校」というベトナム初の幼稚園から高校までの一貫教育で、日本教育システムを取り入れた学校の設立に携わり、今年9月の開校・入学式から副校長として着任されます。
「62歳になった今でも、夢を追ってワクワクしている」とおっしゃる杉本さん。教育に対する熱い思い、ベトナムで成し遂げていきたいことに私自身も非常に良い刺激をいただきました。ぜひご覧ください!
目次
Q まずはご経歴を教えてください。
1973年に広島大学教育学部に入学し、そのまま大学院まで進学しました。その後、国語の教員として、広島県内の高校・中学で38年間指導を行って来ました。
2014年に退職しベトナムに渡り、AKIRA EDUCATIONという日本語センターの校長を約2年間務めました。その後ご縁あって、今年5月から「日本国際学校」の副校長(現地校長)として仕事をしています。
Q ベトナムにいらしたきっかけは何だったのですか?
きっかけは学生時代にまで遡ります。僕は大学入試のとき、受験勉強ばかりをしてやっとの思いで広島大学教育学部に合格し、大学・大学院時代を広島で過ごしました。ヒロシマはご存知の通り被爆地ですから、被爆者の方々の現実に直面したり、実際にお話しする機会がありました。核兵器廃絶の運動に参加する中で、「今まで高校で勉強してきた知識は何だったのか。単なる受験のための勉強であって、現実の社会を見る目が全然磨かれていない」と気づかされ、頭を金槌で叩かれたような衝撃を受けました。
また、広島大学に入学したのが1973年だったのですが、このときはまだベトナム戦争中でした。広島での大学生活で被爆=被害者としての現実を知ると同時に、このベトナム戦争で、日本の米軍基地を経由して攻撃が行われていたり、日本で作られた武器や化学兵器が使われていたりと、私たちは被害者でもあるが、同時に現在進行形の加害者なんだということを思い知らされました。毎日の報道で自分と同じ学生たちが、子どもたちが、お年寄りが無惨に殺されていく様子を見て、もっと勉強し、行動しなければいけないと感じました。
そこで大学で数名の友人と「ヒロシマとベトナムをつなぐ広大生の会」を立ち上げて活動しました。また、日本ベトナム友好協会の役員を務めて、日本に来ているベトナム人と深く交流をするようになりました。そうするうちに、人も文化も国もベトナムの全てが大好きになっていました。
その後、日本で38年間、国語の教員として勤めながらも、退職したら自由な仕事をしたいと思っていました。「教育」「ベトナム」「平和」の3つの立ち位置(キーワード)を通して、今まで勉強してきた理想の教育ができると思いベトナムに渡ることにしました。
Q ベトナムではどんなお仕事をされているのですか?
先ほどのキーワードを軸に、2014年にベトナム・ハノイに渡り、まず最初にAKIRAセンターという日本語学校で校長として勤務しました。そこで2年半仕事をし、ご縁があり今年の5月から「日本国際学校」の副校長として着任し、9月の開校に向けて準備をしています。ここは、ベトナム初の幼稚園から高校まで日本教育システムを取り入れた一貫教育校で、中央大学など様々な日本の大学等と協力関係を結びながら、文部科学省をはじめ国内外の機関からも注目していただいています。
ベトナムは国民の平均年齢が30歳と非常に若くエネルギッシュなのに、農村部なども見ると高校を出ることもままならない若い人がたくさんいて、うまく力を引き出せていないという状況があります。本校代表取締役のHoc先生(元大学学長・元副大臣)の「そういった問題を教育の観点からも変えていきたい」という熱い思いに共感し本校の設立に参画することにしました。
日本国際学校の教育目標は「叡智(wisdom)あふれる子どもの育成」です。叡智とは知恵だけでなく深い洞察力を持ち、物事の真理を捉えることのできる最高の認識能力です。
現在まで、そういった教育理念のすり合わせから初めて、カリキュラム・教材・設備などの準備、ベトナム人スタッフに日本語教育のトレーニング、さらには管理者として職員のマネジメントも行っています。
Q そのように頑張る事ができるモチベーションの源は一体、何ですか?
僕の発想は単純ですよ。普通の2倍3倍と時間をかけてでも、ベトナム人の方とコミュニケーションを取って、一緒により良いものを作ろうとすることが楽しいんです。結果は誰かが評価するものですが、それが最終的に人に喜んでもらえたり、役に立てるなら最高です。
僕は現在62歳ですけど、年をとってもワクワクすることが大事だと思うんです。自分が夢を追っていて、誰かの役に立てたり、それに期待してくれる人がいるなら恩返ししたいです。ベトナムに来て早2年余りが経ちますが、面白いことや知らないことがまだまだあるんですよ。何でだろうな?不思議だな?見てみたい!やってみたい!と感じることは山ほどあるんです。
また生徒たちの成長を見守ることができるのも、教師として非常にやりがいを感じます。ここは一貫校なので、幼稚園生や小学生として入学してきた子どもたちの成長を5年10年と見守っていくことができるんです。この子どもたちは、どのように育っていくんだろうかと想像しただけでワクワクしてきますよね。それはベトナムでも日本でも変わることなく、教師の一番の生き甲斐だと思っています。
Q べトナムでの生活で気をつけていることはありますか?
ベトナムに「住まわせてもらってる」という謙虚な気持ちを常に持つことです。同じ人間としてベトナムに住まわせてもらっていることを常に忘れずに、それを表現することが大切だと思っています。笑顔は万国共通なので、そうすれば分かり合えると信じています。ハノイの人は最初はシャイな人が多いですが、こういった姿勢を持ち続けると、鬱陶しくなるくらい世話を焼いて親切にしてくれます。(笑)
そういった、人のあたたかさはベトナムの良いところだと思います。バスに乗っていて隣の知らないおばちゃんに「どこから来たの?これさっき買ったやつだから食べな~」と声をかけられるような、今の日本には無くなってしまった人情味あふれる風景が未だにハノイにはたくさんあるんです。すごい嬉しいことですよね。
Q 子どもたちと接するときに大事にしていることを教えてください!
現在、本校にいる7人の日本人先生にも言ってることなのですが、「一般論で日本人は~、ベトナム人は~、という言い方をしない」ということです。確かに、多少の傾向はあるかもしれないですが、括るということをしてしまうと個人そのものを見る目が曇ります。僕は、何人であれピュアに個人や事実を見て、その子の良さを伸ばしていくのが教育の基本だと思っています。
日本では違ったことを受け入れなかったり、一般化して空気に同調して安心する傾向がありますが、海外に来るといろんな人がいますよね。違いをまず認め受け入れることの大切さを痛感します。そうしてグローバルな垣根を越えていく、これが日本語で言う「和」という本来の考え方(「和を以て貴しとなす」;聖徳太子)だと思うんです。
そのために知識偏重の教育でなくて、物事の本質を捉える叡智を持ち、未来を切り拓いていける創造力のあるベトナムの子どもたちを育てていきたいと思っています。
インタビューを終えて
今回、杉本さんにインタビューさせていただき印象に残っていることは「62歳になった今でも夢があってワクワクしている」とおっしゃっていたことです。私も将来そのお歳になったとき、同じ台詞を言えるようになっていたいと思いました。
お話させていただいてる間も、本当にイキイキしていて、穏やかに話される中に、教育に対する熱い思いが伝わってきました。スタッフの皆さんのお写真を撮らせていただく際にも、和気藹々とした雰囲気がとても素敵でした。
杉本さん、貴重なお時間をいただき本当にありがとうございました。
取材2016年6月15日 齊藤陸(JAC Recruitment Vietnam インターンシップ生)