ベトナム・ホーチミンで働く日本人インタビュー~ISV VIETNAM 糸見 圭太郎さん~
更新日:2016年6月10日 (取材日:2016年5月19日) / ライター: JAC Recruitment Vietnam
大学を卒業した後、日本で就職することなく、自分で事業を運営されてきた 糸見 圭太郎さん。20年前は日本向けにアオザイやベトナム雑貨を輸出する会社を起業された後、現在では「ISV VIETNAM Co.,Ltd.」にてソフトウェアのオフショア開発を中心としたIT企業を経営されています。
バックパッカーから起業家となった経緯とベトナム人をマネジメントされる経営者の声をお聞きしてきました。
大学卒業後、日本で就職せずにベトナムへ
ベトナムにいらっしゃった経緯を教えて下さい。
初めてベトナムを訪れたのは大学生の時で、確か1996年だったと思います。学生時代はバックパッカーとして東欧や東南アジアを回っていたのですが、その中でも、私にとって一番魅力的に見えた国がベトナムでした。
その後、何度かベトナムを訪れる内に、「卒業したらベトナムに住むんだ」と決心しました。今、思い返せば、ずいぶん無謀なことをしたものです(笑)。早いもので、あれからもう20年も経ちましたね。
なぜ新卒で企業に就職をせず、単身でベトナムにいらっしゃったのですか?
もともと海外志向と独立志向が強かったのですが、若く経験もなかったため「何でもできる」みたいな全く根拠のない自信があり「このまま日本の会社で普通に就職して良いのだろうか?」みたいな事は常に考えていました。
何よりも、あの当時のベトナムの素朴で純粋なところに非常に魅力を感じたのと、これからという国の活気溢れる雰囲気に大きな可能性を感じたのも理由の一つだったと思います。
ベトナムに来た当初はどのようなことをされていたのですか?
何度か訪れていたとはいえ、右も左も分からない上に、知り合いも全くいませんでした。
何はともあれ、まずは「ベトナム語」が必要だと思い、ホーチミン師範大学の外国人向けベトナム語コースに通いました。もっぱら学校ではなく、ベトナム人の友達や、日々の生活における価格交渉の戦い?を通してベトナム語を学ぶことになりましたが・・・(笑)
とはいえ仕事もせずにお金が続くわけがありません。
20年前は日系進出企業も本当に少なく、現地採用職の募集は数えるほどしかありませんでした。知り合いの伝から日本人補習校の数学の先生や、某サービスアパートの水泳の先生などのアルバイトをしていた時期もあります。
初心貫徹、自分で何かをしなければ、お金を掛けずにできることはないものかと・・・
あの当時、ベトナムでも電話回線によるインターネットサービスが始まったばかりでした。そこでWEBサイトでベトナムのものを日本に向けて販売してみようと思ったわけです。
単身ベトナムで事業を立ち上げられたのですね!どのようなビジネスでしたか?
WEBサイトを作成して、ベトナム音楽CDやアオザイのオーダーメイド、雑貨など在庫を持たずに受注があれば買いに走るという極めて原始的なビジネスでした(笑)
当時、「ベトナム」というキーワードが珍しく、ぽつぽつと注文は入りました。
それが一変したのが2000年頃から始まるベトナムブームです。女性誌はこぞってベトナム特集を組み日本人旅行者も街に溢れるようになりました。結婚式や卒業式で着たいとアオザイのオーダーメイドの注文がどんどん入ってきましたね。おかげで素人の原始的なビジネスでも法人化できるまでになり生活の基盤ができました。
現在のお仕事~IT オフショア開発~
現在はどのようなお仕事をされているのですか?
現在は、日本から依頼される業務系ソフトウェアの開発を行う、オフショア開発企業を経営しています。全く異業種ですが、10年前に「次に繋がる業種、次に繋がる会社を」ということで「ソフトウェア開発」という業種を選択しました。その当時、ベトナム政府はIT産業に力を入れ出したところで将来性を感じたのと、初期投資も少なくPCと人さえいれば会社ができるというのが魅力でした。
ベトナムで会社を経営されて、悩まれる点は何ですか?
どの業種でも同じことが言えると思いますが、品質の維持というのが一番難しいです。
特にソフトウェアの場合は、外から見ただけでは品質の良し悪しはまったくわかりません。緻密なテストを行ってこそ初めて判断できます。
文化の違いからくる品質意識の差を埋める、つまり彼らベトナム人技術者の意識を、ベトナムに居ながらにして上げて行くのが難しいですね。
確かにどんな製品でも品質に問題が多いという話はよく聞きますね…
ベトナム人技術者の技術レベルは、日本に劣らずとても高く優秀です。
仕事の8割までは一揆に開発できるのですが、仕上げとなる2割を疎かにするために、お客様の評価が落ちてしまうことは残念でなりません。
「できることをやらない」という悪い習慣、仕上げ2割に対する意識を変えて日本のお客様にも十分満足戴けるような仕事をして行きたいですね。
ベトナム人をマネジメントする上で意識されていることは有りますか?
率先垂範。まずは社長である自分が核となって働き方の手本となるように注意しています。その核を中心にマネージャー、リーダー、メンバーと燎原の火のように外側に広げて行きたいと考えています。ベトナム人スタッフは見てないようで、上司の事をよ~く見ていますから(笑)
あとは、スタッフの話をよく聞いてあげることです。組織である以上、どうしても日々厳しく接する場面が生じますが、理由と目的を繰り返し説明し、彼らの意見も我慢強く聞くようにしています。よくベトナム人はプライドが高く難しいと言われますが、その分、納得した際は、とても心強い味方になってくれます。同じ考え方を持つ社員が一人で多くなるようにと日本人として手本となるように日々意識しています。
会社の今後の方針を教えていただけますか?
オフショア開発というのは、ソフトウェア開発の中でも下流工程にあたり、他の製造業と同じくベトナムで製造(開発)することにより人件費メリットを享受しています。
本来ソフトウェア開発という仕事は、ユーザーとなるお客様からの要望をお聞きする上流工程から始まります。ユーザーとなるお客様に感謝されれば、とても達成感のある仕事です。オフショア開発では、日本からの指示に基づいて製造(開発)だけ担っているため、残念ながら日本でユーザーとなるお客様の顔も見えないのです・・・。
ベトナムが発展するに伴い人件費面の享受も薄れるでしょう。何よりソフトウェア開発という仕事の「やりがい」を持つためにも、ベトナム国内、アセアン諸国向けに、上流から下流工程まで一貫して担う、本当の意味でのソフトウェア開発企業目指さなければなりません。
そして、一緒に働く仲間であるベトナム人技術者に、ソフトウェア開発という仕事を通して、夢や希望が持てる、高いモチベーションを与えられるような会社にしたいですね。
20年前のベトナムとこれから
ベトナムに20年間住んで、感じる変化はありますか?
ずっと住んでいると日々の変化なので、気づきにくいのですが、今のように交通渋滞は全くありませんでした。バイクは高額なため自転車が多かったですし、タクシーは少なく街角にはシクロが多かったですね。そういえば、今のような高層ビルもなかったです。
急速な経済発展で若いベトナム人の意識は変わりました。良いところは、少しずつですがサービスという概念も持つようになりました。逆に希薄になってしまって残念なのが、本来の素朴さや、豊かになるための一所懸命さハングリーな意識かなと思います。
社会が急速に発展しても、彼らベトナム人の根底に流れる考えや文化はずっと変わらないように思います。私はそんなベトナム人、ベトナム文化が大好きです。
現在の会社を立ち上げて10年という節目ですが、今後の展開は?
今まで10年を節目として異なる業種に挑戦してきました。今、ベトナムはかつてないチャンスにあると思います。在越20年の経験を活かして、今後もこのチャンスに乗れるような新しいビジネスにも挑戦して行きたいですね。
今の会社も優秀で信頼のおける社員に恵まれ軌道の乗せることができました。まずは身近にいる社員の頑張りに応えるためにも、この会社を一回りも二回りも大きくして行きたいですね。そして、いつか振り返った時に、学生時代にベトナムを選択して本当に良かったと思えるように、これからも悔いのないように全力で望みたいと思います。
インタビューの感想
糸見さんは「新卒で自分の会社立ち上げ」「ベトナムに住まれて20年」という、インターンの私から見たら”ものすごい”ご経歴をお持ちですが、だからといってその経験に甘えるわけではなく、常に会社やスタッフの方に対して真っ直ぐに、全力で取り組まれている姿が印象的でした。それが、日本人一人で立ち上げて10年間も会社を継続されてきた秘訣なのだと思います。
手厚いご協力の上、学生時代の話から経営者としての視点までたくさんお話しいただい糸見様に感謝いたします。
取材:5月19日明石 華奈(JAC Recruitment Vietnam インターンシップ生)