ベトナム・ホーチミンで働く日本人インタビュー~アイクラフトJPN VN 西田さん~
更新日:2016年5月18日 (取材日:2016年5月9日) / ライター: JAC Recruitment Vietnam
日本での転職を経て、ベトナム・ホーチミンに滞在して9年、その間に会社の事情により「アイクラフト JPN VN」で社長を務められている、西田俊哉さん。企業の海外進出支援を中軸に、BPO・通訳翻訳から不動産紹介・営業紹介まで幅広く事業を展開さている経営者です。しかし、もともとは転職なんて想像できなかったという、大手保険会社のサラリーマンでした。
現在に至るまでのご経歴から、日本で長く勤務されてきたからこそ見えるベトナムの現状まで多くお話していただきました。
“日本でサラリーマン”から”ベトナムで経営者”へ
日本ではどのようなお仕事をされていたのですか?
日本ではサラリーマンから事業立ち上げまで、複数社を経験しています。まず新卒で23年間保険会社に勤め、その後人材会社に転職しました。新卒で入社した際は退職するなんて考えていなかったですし、その時は自分で事業を立ち上げる勇気もありませんでしたよ!しかし、転職の結果、中高年での中途は厳しく、扱いもあまり良くなかったので、その会社も退職を考えていたところ、友人からの誘いもあって、ベンチャーキャピタルの設立に協力しました。ところが、2000年代半ばになるとライブドア事件や村上ファンドの問題もあって事業が下火となり、あまり良くない状態が続いていましたね。「転落」という言葉で表現されるような状況でした…
なぜ23年間も勤務された会社を退職されようと思ったのですか?
妻の後押しがありました。当時保険会社の合併交渉の頓挫から一時経営危機に瀕し、リストラが多く行われていましたんですよ。私は幸いながらその対象には入らなかったのですが、妻から「そんなに割増退職金が出るのだったら応募したら?」と言われまして。仕事にも将来性を感じなくなっており、「これをずっと続けるのか…」と悶々としていたので、思い切って退職を決意しました。
では、なぜベトナムにいらっしゃることになったのでしょう?
3つ目の会社の仕事で、IT企業のベトナム進出支援に関わったのがきっかけです。名目は新規事業の構築、実質的には再建支援だったこともあってコミットが必要とされていたので、ベトナムに駐在する形となりました。親会社の事業とも全く異なる事業を構築したこともあり、今は現会社のベトナム代表として残っています。私は苦し紛れでベトナムに来たのですが、今になって思うのはこのような機会を与えてくれた方々には感謝の気持ちを持っています。
ベトナムで社員をもつということ
新卒はサラリーマンだった西田さんが、ベトナム人を部下にもつ経営者としてご活躍されていますが、経営者の視点はどのように学ばれたのですか?
サラリーマン時代に部下を持った経験が社長業に生きています。23年間勤めていた保険会社では、営業部長として母親のような年上女性も含めて営業職員を管理する立場にありました。その時は「保険を売れ」と言わない営業部長でした。私の役割は、働きやすい体制や販売しやすい仕組みを作ることだと考えました。そのため、映画会やアメ横ツアーを企画して、顧客を増やし、ファンが集まる仕組みを作りました。そうすることによって、営業をやる人も増えるという良い流れをつくることができたんですよ。
なぜそのような仕組みを考えられたのですか?
実は入社した当初は、営業が嫌いでした。でも、「営業=モノやサービスを売ること」でないとわかってから変わったのです。直接保険を売らなくても、お客様の問題の解決を図ることで信頼関係を構築し、その結果として商品が売れるのです。物を買っていただくことは、自分を評価していただくことと同じ意味なのです。
その経験はベトナムで働く現在にも活かされていますか?
「依頼された会社に対して、100%を尽くすこと」を常に目指しています。ご相談頂いたことに関して、自社内で解決策を提供できない場合は、できるところを探すのがサービスだと思っています。その努力が仕事を拡げていきます。
お仕事をされる上で、”ベトナム”だからこそ意識されている点は有りますか?
日本流では通じません。日本とベトナムを合流させる意識が絶対的に必要だと考えています。社内での一例を紹介します。社内ではインセンティブ制を取り入れ、「汗を流した分、言い換えれば実際やった分の給料がもらえる仕組み」をつくっています。事務作業の仕事ですら、インセンティブ制を導入しているんですよ。この制度により、ベトナム人の長期雇用に繋がりました。設立当初はデータ入力を行っていた社員が、現在は当初の3倍の給料で働いています。これは少しずつ難しい仕事を与えると従業員のやる気を誘発し、能力の向上とともに仕事を継続してくれたからです。現在の社員のうち、約半数が初期メンバーなんですよ。
ベトナムから見た「日本」
今後は、どのように事業を展開されていく予定でしょうか?
ベトナムが経済発展し、各分野の競争が激しくなっています。これまでは”やれることをやる“と、手広く事業を行ってきましたが、なにか突っ込んだ事業を持たなければならないと認識しています。今年は外国人に対して不動産が開放されたこともあって、不動産のアドバイスや管理には力を入れていきたいところです。また、会社設立支援の拡充にも注力していきたいと考えています。
日本に帰国されるご予定はないのですか?
今のところ日本に帰る予定はないです。なぜなら、目の前に自分がやらなければならない仕事があります。自分の役割を他に任せられる現状ではありません。日本では60歳で退職となりますが、現在の日本では生活が厳しいと思います。ベトナムでは退職がなく、いつまででも働けます。自分の役割があることが楽しくて、幸せです。
9年間ベトナムに生活する西田さんは、日本をどのように考えているのですか?
9年前のベトナムは、裸足の女の子が歩いていたり、物乞いも多くいました。しかし現在ではあまり見ないですよね。豊かになって、中間層が増えています。その一方で、日本の中間層は少なくなり格差が拡大しています。日本が島国で閉じこもっている時代は終わりました。海外の成長力を取り込んで、日本にその配当を得るような考えが必要です。
そうしない限り、日本はもう経済的に豊かになることは厳しいのではないでしょうか。日本がこれから考えなくてはいけないことは、経済成長を期待するのではなく、それとは違う「豊かさ」と追求していくべきだと考えています。少し貧しくても、田舎で野菜を育てる生活も良いのではないでしょうか。やることがあること、関わる人がいることが年をとってからは幸せに感じるはずです。
インタビューの感想
バブルから不景気の頃まで日本で継続的に働かれてきた西田さんだからこそお伺いできたお話しがたくさんありました。インタビューさせていただく中で、現在のベトナムでの事業や人脈の裏には、お客様や従業員に対して真摯に向き合う西田さんの姿があることが伝わってきました。私も、西田さんのように「自分の役割がある、いまが幸せ」だと語れるような生き方をしたいと思います。
突然のお願いにもかかわらず、お仕事やご自身の生き方について深くお話しいただいた西田様に感謝いたします。
取材:5月9日 明石 華奈(JAC Recruitment Vietnam インターンシップ生)