ベトナム書道を習う①~ベトナムと日本の書道~
今年の5月から、ベトナム書道を習い始めました。私は日本で書道を10年以上習っていたのですが、ベトナムへ来るたびにあちこちでみかけるベトナム語の書にあこがれて、ベトナムで暮らすことになったらベトナム書道を習う!とずっと心に決めていました。こちらで書道教室をみつけることはむずかしく、知り合いから紹介してもらって先生をみつけました。まだまだ習い始めたばかりですが、理論もろもろも含めて、ベトナム書道がどのようなものか、すこしずつご紹介してゆきます。
ベトナム書道のこと
ベトナム書道は、ベトナム語でトゥーファップチューヴィエットThư Pháp Chữ Việt(「書」「法」「字」「越」)です。トゥーファップは、「漢字」ではなく、ベトナム語の「クォックグーQuốc Ngữ(「国」「語」)」を書にしたものです。
ベトナム語の表記のこと
かつて中国の支配下にあったベトナムは、ベトナム語を漢字で表記していました。しかし中国語とは別系統のベトナム語すべてを漢字で表記することはできず、13世紀にはベトナムの知識人らによってチュノムChữ Nôm「字」「喃」という、漢字の部首を組み合わせるなどした独自の文字が考案されました。しかしチュノムは漢字を知る知識人しか読み書きできませんでした。
1651年には、フランス人宣教師のアレクサンドル・ドゥ・ロードによって、ベトナム語のローマ字表記が考案されました。これが今のクォックグーのもとになるものですが、これはまだ、ヨーロッパ宣教師がベトナム語を習得するため、またはベトナムの教会で布教するためのものでしかありませんでした。19世紀後半以降、フランス植民地となってからは、フランス当局によってクォックグ―の教育が進められたものの、この時点でもまだ、ベトナム国民にとって一般的な文字とはなりませんでした。
そして1945年、ベトナム民主共和国が独立する際、国民の識字率の向上のため、政府によってこのクォックグーがベトナム語の公用表記文字とされて、今に至るのです。
日本の書道
皆さんご存じのように、小学校、中学校で習う日本の書道は、漢字とかなの書です。「とめ・はね・はらい」、二度書き厳禁、墨の濃淡、墨つぎをどこでするか、などなど、いろいろなルールを習いました。そして日本の書道を習得する際は、中国と日本の書家による作品を「臨書」(お手本を見ながら真似して書く)することが主でした。
例えば…
(僭越ながら、以下すべて私の高校時代の臨書の作品です。「○○(名前)臨」は、「○○が臨書しました」という意。)
ベトナムの書道
習い始めてびっくりしたこと。
日本の書道と、何もかもがちがう!
いわゆる「文房四宝」、硯・筆・紙・墨はもちろん同じですが(ただしこれらの道具は「あればOK」、というかんじ…今、半紙などではなくてわら半紙で練習しています。)、とにかく書法がちがう。
そもそも「絵を描く」かんじです。
日本の書道のように筆の形を残すことなく、書き始めも書き終わりも丸くしたり四角くしたり。1文字でもいろいろな書き方があって、これらを組み合わせて、文字を、文を書きます。「正しい形」はありません。組み合わせる際も、同じ形ばかりでは美しくない。
要はバランス良く、美しければOKです。
この書き方が本当に日本で習っていたものとちがってむずかしい。筆をうまくまわしながら、絵を描くように文字を書きます。初日は手が筋肉痛になりました。
以下私の先生のお手本。これらを真似して練習しています。
先生、サッサと何かを書き始めた…なんと、同じ書法で、絵まで描けてしまいます。
文房四宝のベトナム語
ちなみに文房四宝のベトナム語は以下。
ヴァンフォントゥーバオVăn Phòng Tứ Bảo(「文」「房」「四」「宝」)←日本語と同じ!
・硯→ギエンNghiên
・筆→ブットロンBút Lông
・紙→ヤイ(北:ザイ)Giấy
・墨→ムックタウMực Tàu
つづく。
[authorcredit]
ライター情報
ayako
元ベトナム考古学徒。研究のかたわらベトナムフェスティバルやベトナム検定公式テキストやたんぽぽカフェ@ダナンに携わったのち、2013年1月からホーチミン在住です。