日本との関係が深い世界文化遺産の街、ホイアンの歴史を知ろう
更新日:2017年10月31日 / ライター: ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
世界文化遺産の1つとして日本からだけでなく世界中からたくさんの旅行客が集まるホイアン。実は日本と歴史的関係が深いのです。
その名の通り日本との関係がある「日本橋」
日本橋の起源
観光名所である来遠橋(通称日本橋)は名前の通り日本と古くから深い関係があります。2万ドン札にも印刷されているとても有名なスポットです。ホイアンでは16世紀半ばより、日本をはじめ中国、ポルトガルなど各国との貿易が盛んにおこなれていました。この貿易をきっかけに交流が始まり、ホイアンには1,000人もの日本人が住む日本人街ができました。その日本人たちが日本との友好関係の象徴として1593年に日本橋を建立したといわれています。橋には凝った装飾がされており、その当時の人々の技術の高さを垣間見ることができます。
橋の中には寺があり、見学することも可能です。また、橋の両端には猿と犬の像があり、これは橋の建設が申年にはじまり、戌年に終わったことを表しています。
鎖国から現在に至るまで
16世紀にはじまった貿易をきっかけに、交流関係が続いていた日本とホイアンですが江戸時代に公布された鎖国令により、交流は断たれてしまいました。日本人街に住んでいた日本人たちも帰国を余儀なくされました。その後の18世紀に起きたタイソンの乱でホイアンの街は全焼したものの、のちに再建されました。しかし19世紀に川の流れの変化により川幅が狭くなってしまい船舶の大型化に対応できなくなったことから、貿易港はダナンへ移りました。一方でホイアンの美しい街並みが当時のまま残っているのは、ベトナム戦争の戦火から逃れることができたからです。
その後ベトナム政府は木造建築の歴史のノウハウを持つ日本に、街並みを保護するために協力を要請しました。その後のホイアン市民の努力により。1999年12月にホイアンは世界遺産に登録され、現在は観光都市として発展しています。日本橋の下の水路には夜になると灯篭が流されてより幻想的な日本橋を見ることができます。
まとめ
いかがだったでしょうか。日本橋は昼間に訪れるのも夜に訪れるのも両方おすすめです。日本から遠く離れたホイアンで昔の日本の建築様式が見ることができるなんて少し不思議な感じがします。異国の地で日本人が建立した橋をぜひ訪れて歴史を感じてみて下さい!
ライター情報
ベトナム生活・観光情報ナビ編集部
ベトナム生活・観光情報ナビ編集部です。ベトナムをもっともっと楽しめる、そんな情報を日々探しては発信しています。こんなこと知りたい!というリクエストがあればお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。