400年の時を経て今もなおホイアンに残る日本人の墓は朱印船貿易時代の日本人町を今に伝える

ベトナム中部の世界遺産の街、ホイアン。400年前の江戸時代に朱印船貿易の行き先として日本人町が形成され、最盛期には数百人の日本人がこの地に居住していました。当時はオランダ東インド会社の商館も設けられるなど、西洋と東洋の貿易拠点となっていたのがベトナムのホイアンなのです。その後の江戸幕府の鎖国政策により在住日本人は日本に引き揚げることとなったのですが、この地に残ることを選択した日本人のお墓が今も残っています。 日本人の墓は3つあるのですが、これがなかなか見つけにくいのです。写真で紹介するので是非探してお墓参りしてみてください! 目次1 谷弥次郎兵衛の墓2 蕃二郎の墓3 具足君の墓4 墓の修築を行った黒坂勝美教授と中山氏5 日本人の墓へのアクセス 谷弥次郎兵衛の墓 一番見つけやすく、よく知られているのが谷弥次郎兵衛の墓。ハイバーチュン通りを北上して右側、田んぼの中にあります。 道路から田んぼの中に伸びるあぜ道の入り口にこの石碑があります。石碑には「MO ONG TANI YAJIROBEI」「Mr Tani Yajirobei’s Tomb」(谷弥次郎兵衛の墓という意味)と書かれています。ここからあぜ道を入っていきます。 あぜ道をしばらく歩いて左手にこの石碑が出てきたところで左折。この2つの柱の間を歩いていきます。この石碑はほとんど字が読みにくくなっていますが、参拝上の注意点が4ヶ国語(日本語、英語、フランス語、ベトナム語)書かれています。 細いあぜ道の奥にあるこちらが谷弥次郎兵衛の墓。時間によっては地元の人が線香をもって売ってくれることがあります。現地の人が維持管理してくれているようです。 墓の隣には谷弥次郎兵衛についての石碑があります。写真が読みにくいのですが、石碑の内容は以下のとおり。 1647年、日本の貿易商人谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。 言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本へ帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。 この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。 この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当時、日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的であった事の証しである。 恋人に会いたくて戻ったというのはとてもロマンチックですね。鎖国なんて歴史の教科書の中の話だったのに急に身近なことのように思えてきます。 蕃二郎の墓 同じくハイバーチュン通り沿いにあるのが蕃二郎の墓。谷弥次郎兵衛の墓よりも市街地寄りにあります。 こちらが蕃二郎の墓の入り口。先程と同じく「MO ONG BANJIRO」「Mr Banjiro’s Tomb」と書かれています。 民家の間を通るこの石畳の道を歩いていきます。 しばらく歩くと民家に囲まれたお墓が出現。谷弥次郎兵衛の墓同様、参拝上の注意点が4ヶ国語で書かれています。 正面から見た蕃二郎の墓。奥の建物は民家です。ここの綺麗に地元の方々によって清掃されていて、線香もたてられていました。こちらには蕃二郎についての解説は特にありませんでした。 具足君の墓 最後がこちら、具足君の墓。蕃二郎の墓の近くにあるのですが、ハイバーチュン通りから路地に入っていった民家の間にあり非常に見つけにくいところにあります。 他の墓と同様参拝上の注意事項の石碑があります。この写真中央の道の奥に具足君の墓があります。完全に他の民家の敷地のようで地元の方と遭遇することも多いのですが、いつも何も言われずに参拝させて頂いています。 こちらが具足君の墓。かなり広い敷地が今もなお残っています。ちょうど訪問した時は農作業の袋などが散らかっていましたが、ここも地元の方が管理してくれているようです。ここにも具足君についての解説などはありませんでした。 墓の修築を行った黒坂勝美教授と中山氏 それぞれのお墓には墓の修築についての解説がつけられていました。こちらも日本語、フランス語、英語、ベトナム語の4カ国で書かれています。 そこには以下のように記されています。 昭和三年西暦一九二八年文学博士黒板勝美教授の提唱に基き印度支那在留日本人一同工事監督また順化府在住中山氏に委嘱し此墓地を修築す 文中の印度支那はフランス領インドシナ(1928年当時、ベトナムはフランス統治下です)、順化府は現在のフエ市を表しています。東京帝国大学名誉教授である黒板勝美さんの提唱により、インドシナ在住の日本人一同がフエ在住の中山氏に墓地の修築を依頼したという内容です。 日本人の墓へのアクセス それぞれのお墓の場所がとってもわかりにくく、この写真でたどり着くのは大変なので地図で場所を示します。この地図を持って3つの墓を探してみてください。 左から順に具足君の墓、蕃二郎の墓、谷弥次郎兵衛の墓です。地図を貫くハイバーチュン(Hai Ba Trung)通りを南下するとホイアンの市街地、北上するとアンバン(An Bang)ビーチです。図中の黒線が参拝用の道です。 3つの墓はそれぞれ歩ける距離にあるのでタクシーで近くまで行っても良いですし、レンタサイクルで回ってもよいでしょう。ホイアンの宿の多くはレンタサイクル貸出をしており、この街の散策にとても役立ちます。 日本人の墓、是非行ってみてください!